惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

5月病記念(4)

2010年05月02日 | 他人の狂気
便所飯が事実としてある現象なのかどうかはわからないから、両方の場合を交互に考えているわけだが、今度は事実としてあるという前提のもとで考えてみる。

大学生が、というところが重要だ。これが中学や高校だと、イジメとかの絡みでこんなことは普通にあるに違いない。実際、掲示板とかで「高校の時は・・・」という書き込みなら頻繁に見かけるわけだ。でも大学なら学生を外側から縛りつけるようなものは、制度的にも雰囲気的にも基本的に何もない(研究室の中とかはまた別だ)から、他人が何をしていようと普通は気にならないし、したがって自分がどこかから見られている気配も感じないというのが普通だろう。自分の経験してきたところから言っても、キャンパスの中を歩いているのは、街中をひとりで歩いているのと同じだと思う。街中を歩いていて「友達のいない人だという目で見られている」と感じる人がいたら、それはその人かその街(社会)のどちらかが間違いなく病気である。

もっとも食堂の中ということになると多少は事情が違ってくる。それは知らない店にひとりで、それも何となく自分は場違いではないかという予感を持ったまま入って行くのと同じだということがありえて、だから気遅れを感じるということは、人と場合によってはあるかもしれない。昼飯時なんかに学生でごった返し、どこか殺気立った雰囲気の食堂で食べるのは嫌だ、という神経質な人だっているだろう。しかし何も食事するのは食堂でなければいけないという決まりもないわけだ。キャンパスの中にはベンチもあるし、空いてる講義室もある。「講義室内では飲食禁止」などという大学もあるだろうが、それは講義中の話で、空いてる時間もわざわざ見張っていて文句を言ってくる大学などあるはずがない。もしもあったら予算の無駄遣いも甚だしいと非難されるだろう。

少なくともわが国で大学に通ったことのある人間ならこのくらいのことは普通に想像できるはずで、だからこそ不思議なのである。ひとりの学生を、よりにもよって昼飯時に、こともあろうに便所の個室の中にまで追い込んでしまうほどの強い脅威の感じを与えるものが、大学のキャンパスの中のいったいどこに、どのようにしてあるのだろう?



「友達がいない」云々というところで、最初からわたしにはひとつ思い当たっていることがある。いまのワカモノたちが「友達」ということを、わたしには信じられないくらいの重さで考えているらしいことは、それがいいか悪いかは別として確からしく思えるということである。確からしいというのは、わたしから見ればそれはほとんど強迫観念のようにさえ思えるということだ。もっともそれは、わたしの方がとことん無頓着すぎるだけかもしれないのだが。

ただこの落差がどこから生じてきたのかは、はっきりしている。それは彼らがほとんどひとり残らず所有していて、わたしは(就職活動のための例外的な一時期を除いて)所有したことがない携帯電話である。何しに使うのかは知らないが、ヒキコモリの人でさえ持っていると聞いたことがある。携帯電話の呼出音の鳴らないことがヒキコモリの自己確認になっているのかもしれない。きっつい話だなあ、とは感じるが、ヒキコモリはもともと「きっつい」ものではある。

「友達」というよりは「伝達(コミュニケーション)」というべきかもしれない。

たとえば、このblogでは最初から切ってあるが、ほとんどすべてのblogにはコメントとトラックバックの機能が最初からついている。特に設定としてOFFにしない限りは、これらはデフォルトで機能するようになっている。

blogというのはweb-logを縮めた言葉である。エンタープライズ号の船長がつけているのはstarlogである。だから本来は「日誌」あるいは「日記」なわけである。すべての日記はただの私的な備忘録でない限りは、誰がどのように作る場合でも、多少なりと公開性を帯びることになる。カギ付きの日記帳というのがあるが、あれなどはツンデレの古典的な形態のひとつなわけだ。公開性を帯びた文章を書いてそれにカギをかける、つまり「べ、別にあんたなんかに読んで欲しいわけじゃないんだから!(CV.釘宮理恵)」という典型的なツンデレである。

そうした日記をつける人は、書き言葉が発明されて以来の大昔から世界中に存在した。ツンデレも含めてそういう表現の形態が古くからあったわけだ。だからWeb上で日記をつける人がいても不思議はないし、わたしもこうしてやっていることである。

けれども、それはそれとして、どこの世界にコメントや参照づけがデフォルトであるような日記があるものか、とも思う。気持ち悪い話だとは思わないだろうか。わたしは思う。といって、そもそもblogが流行ったのはこのふたつの機能からなのだから、文句を言っても始まらない。欲しくなければ設定をOFFにするだけのことだから別に構わないのだが、最初から不思議に思っていたことではある。
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