瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

なんて厄介な生き物なんだろう

2024-04-07 05:43:18 | 随想
夏侯惇
これ、どう読みます?

You Tubeで「三国志」の朗読を聴いてたらカコウジュンって人が出てきたんですね。最初ピンとこなかったんですが、あれ?これってカコウトンのことじゃないかしらと思いまして。ま、読み間違いなんてのは誰にでもあることです。あたくしも読み方を間違えて覚えてる漢字はたくさんあります。カコウトンがカコウジュンって呼ばれると別の人物のことみたいで、その読み間違いは気にはなるけれど仕方がない。

で、しばらくして、なんとなくWikipediaの「三国志(吉川英治)」の項目を読んでたら夏侯惇の読み仮名はカコウジュンって振られてるって書いてあるじゃありませんか。当時まではカコウジュンって読まれていた名残りだそうで。

あたくし、吉川英治の「三国志」は20代のはじめのころ読みました。当然カコウジュンって読んでるわけです。にもかかわらず夏侯惇はカコウトンと読むものだって思ってる。はて、どうしたことか。おそらくゲームのせいでしょうね。20代の終わりころゲームで「三国志」をやってました。吉川英治でカコウジュンって読んでたのを忘れてしまいゲームのカコウトンって読みが定着しちゃったんですね。
事情はどうもこういうことらしい。江戸時代以来、夏侯惇をカコウジュンって読んでて、吉川英治が「三国志」を書いたころもそうだった。けれど、最近の研究者の書く本にはカコウトンと読み仮名が振られ、で、夏侯惇をカコウトンと読む流れが生れてゲームもカコウトンを採用。

You Tubeの朗読は読み間違いじゃありませんでした。といって、あたくしが間違えてるわけでもない。どっちも正しく、ただあたくしが物知らずだったってえことです。ありがちですねえ。自分が知らないばっかりに相手が間違えてると思い込む。自分の知ってることが正しく、だから相手のすることが自分の知ってることと違っていれば相手が間違えてると即断する。自分が間違えてるって可能性を考えない。自分が知らないだけという謙虚さがない。

とどのつまり他者への敬意のあるなし、ですかね。
自分へ向ける敬意と同等の敬意を他者に向ければいいだけなんですけど、それがなかなかに難しい。他者を軽蔑したり愚弄することで自分の尊厳を守ろうとしたりしますから。弱いゆえに攻撃的になったりね。

争い合い、いがみ合い、罵り合いなどなど絶えんはずですわ。
本当に厄介な生き物です。
ま、生物として当然の自己保存的な振る舞いなのかもしれませんけど、知性でそれを乗り越えるってわけにはいかないもんかしらね。

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