瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

本来の実在はどうあれ……

2024-03-10 07:58:19 | 本の話
前項で「ゴルディアスの結び目」から、
本質である“空”を見ず、その“むすぼれ”の方を実在と見あやまるから、そこに死ぬ事に対する苦悩や、現世に生きる事のさまざまな煩悩が生まれる……。
ってところを引用しました。
その続きにこうあります。
“空”こそが唯一の実在とわかれば、本来空なるものが“空”にかえる事も何ら苦しむに値しないと悟り、寂滅為楽の境地が達せられるだろう……。
おそらく多くの人たちは苦悩だの煩悩から解き放たれ、寂滅為楽の境地に達したくて宗教にすがるのでしょう。宗教者もそのような苦境から救うためにあれこれ説くんでしょうし。
色即是空、空即是色。空こそ実在だ、と言われたところで私たちは色を実在として生きてますからね。色を生きる、つまり苦悩や煩悩を生きるほかありませんよ。ってか、生きるってえのは苦悩や煩悩を生きることで寂滅為楽の境地に達することじゃないでしょう。色から解き放たれて空という実在に還れば否応なく寂滅為楽ですよ、理屈からいえば。だから色を実在として生きることの意味は苦悩や煩悩を抱えることです。色を実在として生きながら本来は空こそ実在なんだからって寂滅為楽の境地に行っちゃったらなんのために色を実在として生きてるんだかってことですよ。大いに苦悩し煩悩にまみれて生きりゃいいんです。
そりゃ、あたくしだって苦悩はごめんだし、煩悩にわずらわされたくありませんよ。心安らかに生きたいですよ、出来るならね。ま、しかし仕方がありません。色を実在として生きてるんだから苦悩や煩悩から逃れようもない。嫌だけど付き合っていくしかない。それに色を実在としているからこそ歓びや愉しみだってあるわけですしね。空に還ればそんなものが在るとも思えない。よう知らんけど。
生きているうちは観念して“これ”を生きるほかないんでしょう。ってか“これ”を生きるために私たちは生きているんでしょう。
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