瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

こちらでは小説をhttps://kakuyomu.jp/works/16816700427846884378

選んだ関係

2018-12-10 06:33:31 | 随想
その仕事をその人に教わるってぇのは、つまりその人は先生なわけですな。師匠っていってもいい。
普通、先生や師匠ってぇのは自分で選ぶもンです。あの先生に教えてもらいたいからあの学校に行く、この師匠に惚れこんでるから弟子入りする。

でも仕事、ま、職場ですな、職場で教わるってぇときは教わる人を選べないのが普通です。否も応もない。その人に教わるしかない。先生とか師匠って呼びたくないような人に教わらなきゃならん場合だって多々あるわけです。
災難なことで。先生や師匠は自分で選びたいもンですなあ。

自分で選んだ関係なら大抵のことは耐えられますからな。自分が望んだ関係だってぇことが根底にあれば困難も乗り越えられるってぇもンです。

ですから、関係ってぇのはどんなんであれ自分で選びたいもンですが、否も応もないってことのほうが多い気もしますね。親子とかご近所とか、更に大きな枠組みでいえば国家とか。
否応なく強要される関係はストレスですなあ。たまりません。

でもこんなことを思ったりもします。
袖振り合うも多生の縁っていうでしょ? 関係をもつからには縁があるんでしょう。縁があるってぇのは全部とはいいませんが少しは自分の責任ってぇいいますか、自分の意思が混じってるような気がします。
と考えるとすべての人間関係は自分で選んでると言えなくもない。

人間関係はなにかとストレスですが、自分が選んだ関係だと思えば少しは耐性も生じようってもンです。乗り越えようって思いも生じようってもンです。
ま、耐えるばかりが能じゃありませんがね(笑)


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