瓢簞舟の「ちょっと頭に浮かぶ」

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他者という存在

2018-12-11 04:57:00 | 随想
他(ひと)の悩みなんてぇのは傍(はた)から見りゃ大抵くだらねぇもンですわな。こうすりゃいいじゃねぇか、と簡単に解決しちゃったり、そんなバカバカしいことは気にすんな、だったりするもンです。

自分に関しても、過去の自分の悩みについちゃそんなもンですなあ。過去のことで、もう解決済みなんですから当たり前ですけど。

ですが、当人にとっちゃ生きるか死ぬかの悩みであったりする。悩みの深刻さは当人でないと分からない。
難しいですねえ、本ン当。
仮にその人と同じ体験をしたからといって、その人と同じように自分も悩むというわけのもンでもないですしね。他(ひと)のことはどこまでいっても分からない。

分からないってぇ前提で付き合うしかありません。簡単に分かってるような気になっちゃいけない。
そのうえで、どこまで共感できるかです。その共感もどこまで共感出来ているか怪しいもンですけど。

人と付き合うのは難しいですなあ。分からないンですから、その人が何を思ってるンだか。
それ以上に人の抱えている悩みに手を貸すってぇのは難しい。

他(ひと)との断絶はどうしようもありません。孤独なんです、人ってぇのは。
だからこそ共に在ろうとし、共に感じ合えたとき、そこに歓びがあるンです。それは感謝でもあります。他(ひと)が居てくれることへの感謝です。
そういう意味では感謝するために生きてるようなもンですね、私たちは。

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