人生回顧録及び雑記

83歳・記憶の定かの内に日記風に書きとめておきたい。
また日頃勝手に感じた事を記載したい。

若年性認知症介護体験記 (9)

2019-01-15 | 日記

 

認知症は世話する家族が一番大変な環境にあります。

この数年感じてきたことは、認知症本人が精神的安定を得る様になるには、それを支える家族が病状を理解し現状を全て受け入れなければ支える事は出来ません。若年認知症の妻は病人である!! と認める事から介護は始まります・・

介護者の個人的生活はなくなり、患者中心に介護生活に没等するつらさ・・

生活のために不定期に仕事をしていますが、毎日の労働時間が制約されて困ります。

ディの送迎時間は朝9時から午後4時迄ですので、仕事開始時間は9時半頃となり、作業終了時間は4時過ぎには帰宅していなければなりません・・

ディサービスの無い土日は、車の助手席に乗せて仕事をしなければなりません。

それでもやむなく仕事が伸びた時、ディサービスから帰宅している妻が落着かず、仕事と介護の葛藤の日々です・・

 

次回へつづく

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歯の治療について・・

2019-01-14 | 日記

(前号の歯の治療についての補足です・・)

近隣の個人の歯医者には私から認知症である事をお話ししていましたが、受付する奥様の対応は良かったのですが、病の進行とともに先生も我慢が出来ず私に苦情の話がありました。

其れからは歯医者に行く事を嫌い始め騙しだまし連れて行きましたが、限度を感じ近隣の大きな歯医者に相談しました。

私が以前利用していた歯医者の副医院長先生は身体の不住な人を受け付ける担当で、直ぐに理解を示され妻の治療をすることになりました。この歯医者は緊急時対応の24時間受付・患者の入院施設あります。

認知症患者の事も大変理解され対応も良くなりました・・

しかし大きな歯医医院でも受付から検査に係る担当者は全然理解されておらず、一般人と同じ対応をしますので検査処ではありません?

ついに正常治療では不可能となり、麻酔治療をすることになりました。

治療室は別室で歯科看護師数名が付添麻酔で眠らせます・・麻酔が効き始めてからの治療ですので時間がかかります、又麻酔から覚めるのを待って帰宅します。

漸く治療が終わり高価な義歯が出来上がり入れて安心したころ、ある日義歯が見当たりません?

入れ歯を何処かに投げてしまいました。

認知症になりますと歯の治療も介護する私に取って我慢のしどうしでイライラが募ります。

次回へつづく

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若年性認知症介護体験記 (8)

2019-01-14 | 日記

認知者本人には何の罪もありません?

この病気は一番難解な病気です。他の病気は本人自身の意識もあり、少なくとも会話の遣り取りや意志の疎通が可能です。

若年認知症は話し言葉を忘れ、意思の疎通が出来ず私に取って最悪な病気です。

妻は結婚した娘の名前すら思い出す事が出来ません、悲しい辛い事です。

介護する家族に取ってこれ程つらい気持ちはありません?

妻の表情から話そうと努力をしている様に感じますが、単語が出てきませんので本人はイライラしている様子が見受けられます。

家庭内での意志の疎通はゼスチャで行って来ました。

毎日妻は小食で食事も進みません・・

しかし飴は大好きで常に持ち歩く行動になっています。したがって歯がボロボロですが止めません・・

歯医者に通い治療をして頂きましたが、先日医院長先生から私に話がありまして、

「歯磨きを充分にしないと、菌が肺に入り肺炎・進行すると心臓まで達し重病になりますので注意して下さい! 」と注意を受けました。

治療も子供のようにわめきちらし、先生の云う事を聞きませんので先生もてこずっていました。

申し訳なく先生に「子供の様で困ります? 」と申し上げましたら先生が「子供は云う事は利くが? 子供より悪い!」 と顔をしかめて言われました・・

先生の気持ちは分かりますが? 面と向かってそう言われます、良い気が致しません。

御腹立ちは分かりますが、認知症本人の気持ちを理解して優しく接して呉れることを求めます。

次回へつづく

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若年性認知症介護体験記 (7)

2019-01-13 | 日記

この間が介護を始める私として最も精神的に苦痛の時期でした。

この会を利用させて頂いた数カ月後、たまたま区役所に用事があり、ついでにお礼を兼ねて福祉課の担当保健師さんをお尋ねしました・・・

当時妻は度々区民センター内の図書館を訪れる時に、保健師さんと顔を合わせていましたが、妻の表情が以前より明るくなった・・とおつしゃいました。

お礼を申し上げました所「一番変わったのはご主人ですね!」 と言われ自分ながらに驚きました。

それは私自身今迄認知症云う病気を理解出来ずにおりましたが、会の皆様との関わりが出来たお蔭で、認知症と言う病気が少しずつ理解でき、同じ仲間が出来たことで私のストレスも軽減されていた事を感じ始めました・・

認知症本人を毎日支える人の理解と思いやりが認知症本人に取って最も大切である事を恥ずかしながら感じました。

同じ悩みを持つ皆様の認知症の病状は一人ひとり違う事も肌で感じましたし、認知症患者を支える家族の対応が大きな影響を与える事も知らされました。

次回へつづく

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若年性認知症介護体験記 (6)

2019-01-12 | 日記

 

 

最初は嫌がっていましたが、数ヶ月を経過してディサービスに行くのを楽しみで朝迎えの時間を待ちきれない様子で窓から見ています。

又近隣の「精神科病院」を保健福祉課の保健師さんに紹介され、月1回訪問し病院で受診しました。

興奮を抑え精神安定する漢方薬(抑散奸)とメマリ20ミリ錠を朝1回頂き、精神的に安定して来ました。

又札幌市から(精神障害者手帳2級)と(自立支援法精神通院医療)を利用させていただいております。その後障害年金の手続きをしました。この頃は要介護2と記憶しています。

 

先程お話しました様に妻は認知症か?それとも正常では無いか? との境目でハッキリした区別がつかず、理解出来ずに私は悩み続けました。

本人の精神状態が不安定で、常に興奮気味で毎日怒られずには居られません?

私もイライラし自分の感情の持って行き場が無く、ストレスが溜り精神的に参ってしまう状況でした。

その状態を見たケアマネさんが、(介護に悩んでいる家族の支援会)があるので一度参加して見ては如何ですか?

とのお誘いを数回頂きましたけれども、気分的に心の整理と納得が出来ず、認知症の状況を認める気持ちにはなれません・・

この一年間悩み続けましたが再度ケアマネさんからのお勧めで、そして「北海道若年認知症の人家族の会」通称ひまわりの会に参加させて頂きました。

初めて妻を連れてひまわりの会に参加しました。

お蔭様で認知症の悩める家族の皆様からアドバイスや力強いご指導頂き大変助けて貰いました。

精神的にも軽くなった様な気持ちになりました・・

次回へつづく

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若年性認知症介護体験記 (5)

2019-01-11 | 日記

意味性認知症と診断されてから・・中期の状況

当時仕事の忙さに紛れてズルズルと数ヶ月を経過しておりましたが、平成22年に知人の強い勧めもあり思い切って地区の福祉課窓口に相談にまいりました。

訪問した福祉課・支援係の保健師女性職員の対応が素早く、直ぐに自宅を訪れて来られました。

状況を聞きそして専門のケアマネージヤーさんを紹介されました。

その後ケアマネさんからディサービス施設を紹介されて施設見学を本人と娘同行して見に行きました。

本人は「病気でも無いのにと如何して施設に行かねばならないのか?」

不安で一杯な顔をしています。

精神病院にでも入れられると思ったのでしょうか? 猛反対な態度です!

この施設は綺麗でスタッフさんも気配りがある様子から、利用をお願いしました。

利用者さんはすべてが認知症の人ではないのですが?お聞きしました所 施設入居者の平均年齢は88才と車椅子利用の人も多く高齢者が多い中、本人は嫌がっておりました。

担当のケアマネさんはベテランで妻の「介護スケジュール表」を作成して貰い、取り敢えず週2回のディサービスをお願いしました。

次回へつづく

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若年性認知症介護体験記 (4)

2019-01-10 | 日記

私が一番つらい悲しい出来事がありました・・

今から10年前次女の初産里帰りで私は受け入れ態勢を整えて待っていました。

長女も手伝いに来て皆で孫を風呂に入れている間に、妻は長女のかばんをこつそり開けて、財布を手に取っていました。それを娘が注意すると興奮して逆ギレを起こしました。

二日目辺りから妻の感じが如何もおかしくなり、娘に「いつ帰るの?」と何度も聞き始めました?

直ぐにでも帰って欲しい態度です。

娘は怒りと身の危険も感じて翌日自分の家に帰って行きました。

私は娘が頼りにして里帰りしたのに、受け入れてあげられない現状に何て情けない事か?

娘にはすまなく涙が出ました。

 

この頃から妻は自宅では掃除・料理が出来なくなり、殆ど私がやっていました。

様々な病状の変化に戸惑いはありましたが、元来勝気な性格で気分の良い時期には、私も娘たちも海外旅行に連れて行ったりしておりました。

旅行中にトラブルがあり、娘たちも困っていましたが韓国から帰国後妻の顔がげっそりとやせておりました。

今思えば妻に喜ばすと思い、した事が妻にとって一番苦痛を与えてしまったことでした。

 

娘たちが会話の中で妻が(ボールペン)の意味が解からず、また度重なる異常行動に心配して、妻が60才の時脳外科の物忘れ外来でSPECT検査とMRI検査・血流検査をしますと、前頭葉の血流が悪く、又海馬も萎縮していると診断されました。

初診時は「左側頭葉の萎縮による意味性認知症」と診断されました。

この6年間家族を巻き込む一番苦痛の時期であった事を今思い出されます。

当時私も生活のこともあり勤務しており、まさか妻が認知症になり、認知症とはどの様な病気なのか皆目わかりませんし、又病気と受け止める気が出来ませんでした。妻も一番苦痛の時期であったと思われます。

次回へつづく

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若年性認知症介護体験記 (3)

2019-01-09 | 日記

 

その後も不可解な行動が多くなり、同じ団地に住む老人と友達になり家に上がるようになり、女性の財布からお金を抜き取り、妻の行動を不審に思った近所の方の通報で警察が駆けつけ問題を起こしました。

この頃毎日あてもなく出かけるのですが、財布を落としパニックに状態で帰宅し、自分の部屋の箪笥や何回も探し、私は妻が出かけるルートを聞きましたが、解からない?の一点張りで、日常行くスーパーや薬局・図書館・等を尋ね事情を話し、最後に最寄りの警察に紛失届けを出して帰宅しました。

後日図書館のトイレ内にあり解決しましたが、病状がさらに悪化して来ていると感じました。

娘二人が嫁ぎ、話し相手や喧嘩相手がおらず、一人で過ごす昼間の時間が寂しいのか?

長女の職場に頻繁に電話しけ突然職場を訪ねて長女を困らせていました。

又近所に住む次女の家にも用事もないのに毎日訪問して困らせていました。

次回へつづく

 

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若年性認知症介護体験記 (2)

2019-01-08 | 日記

ある時妻の両親が住む実家に行き毎度のことで父親と晩酌を楽しんでいたとき・・妻が突然食事の途中で食器をどんどん片付け始めました。

私も飲酒していた状況でしたので注意し両親の前で怒り喧嘩になり、夫婦離婚の話までなりました。

翌日帰りの際妻を実家に残して帰宅しようと思っていましたが、妻は前夜の喧嘩の事等まるで忘れたように何時も通りに助手席に乗り込み・・ケロッとしています。

この時おかしいな?と思いましたが、今思えば認知症の初期病状が出ていたものと考えます。

翌年娘たちが結婚して家を出て行きますと寂しさのせいか?話し相手もなく料理をしなくなり、物忘れ が多くなり、同じ事を何度も繰り返すようになり会話もかみ合わず、毎日喧嘩が絶えなくなり、妻は興奮すると(死んでやる!) と叫び暴れるので私は身の危険を感じて、台所の鋭利な刃物を隠しました。

初期の頃  障害認定日 平成16年5月頃

この頃から妻の病状は極端に悪化しように思われます。料理は全くせず出来合いを買ってきていました、金銭管理は出来なくなりましたが、金には執着心が特別強くなりました。

妻は買い物が好きで毎日スーパーに出かけますが、沢山のお金を持っていないはずなのに、夕飯のおかずが、普段買わないような高価な食材になりましたので、可笑しいな?と思っておりました所、その後万引きで警察のお世話になりました

次回へつづく

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介護体験記(1)

2019-01-07 | 日記

 

昨年「前頭側頭型認知症のBPSDで悩んだ男性介護者の体験記」として講演した記録です。

皆さんこんにちは・・(NPO法人北海道若年認知症の人と家族の会)会員のNと申します。

本日は会場にお招き頂きましてありがとうございます・・

私の介護経験を短時間では全部お話する事は出来ませんが、ある程度記憶をさかのぼってメモを取ってみましたので、少し話が長くなるかと思いますがご容赦願います。

お話が少しでも皆様方の、介護のお仕事にお役に立てれば幸と思います。

(1)認知症を理解するまでの初期の頃! お話したいと思います。

妻がおかしい気づき始めた頃ですが発病時期については良く分からないのです?が・・

今思い出しますと当時私は建設業を営み、妻も経理・現場の手伝いなどして貰っていましたが、

ある時期に多忙と疲労のため私は脳梗塞で倒れました。12月のクリスマス近くと記憶しております・・

今から18年前私が58歳で妻が52歳でした・・

入院中看病と不安も重なり妻の心の負担になったと思われます。

退院後また仕事は始めましたが、私が再度発病し仕事を止めなくてはなりませんでした・・

又妻はアルバイトの仕事を始めましたが職場での対人関係でトラブルが続き、精神的不安に陥りました

元々妻は勝気で気が強い女性でありましたが、この頃から気に食わなければ他人に文句を付け、

常にカリカリ状態で精神不安定でもやもやしている・いつも寂しい・気分が晴れない・頭が痛い等訴えていたように思います。

私は妻が更年期障害からくる精神障害ではないかと考えて、精神科を受診させました。

更年期による(うつ病)と診断されて、安定剤、睡眠導入剤を処方されて通院治療を開始しました。当時54才でした。

次回へつづく・

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「若年性認知症の介護体験記」・・

2019-01-06 | 日記

妻が60才の頃意味性認知症と診断されて、あれから10年今では特別老人養護施設に入所しています。

発症してからの数年間苦悩との戦いでした・・当時現役で仕事をしておりましたので、介護・仕事・家事等で体力的・精神的苦痛の日々でした。一番苦しかったのは相談相手が居ない事で一人悩みました。

ケアマネさんが見兼ねて心の悩みを聞いてアドブァイスしてくれて(北海道若年性認知症の家族の会)を紹介してくれました。

定期的に妻と同伴して会の催しに参加しました。

会員になり年数回市内で開催される「認知症介護実践者研修」に介護体験講師として招かれて約150名等参加の中でお話しをさせて頂きました。

参加者も真剣に聞いて感動されていました。その時の介護体験記を数回に分けて掲載して見ようと思います

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若年性認知症とは・・・

2019-01-05 | 日記

l  若年性認知症とは64歳以下に発症した認知症疾患の総称であり病名ではありません。

l  若年性認知症の原因となる疾患は多岐にわたります。主なものに、アルツハイマー型認知症・脳血管性認知症・レビー小体性認知症・前頭側頭型変性症などがあります。

初期症状として気分が落ち込んだり、やる気が出ない、眠れないなど、うつ病や更年期病状と類似する点があります。

認知症の病状であっても治る病気がありますので、受診して正確な診断を受けることが大切です。

l  若年性認知症は40~50代の働き盛り世代で発症する為に、本人や家族が被る経済的損失・精神的苦痛は計り知れません。

高齢者の認知症と若年の認知症とは根本的に違いは今後の生活に大きく影響しますので一日でも早く根本的な予防法や治療の研究成果が待たれるところです

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NPO法人 北海道若年認知症の人と家族の会について・・ (2)

2019-01-05 | 日記

会の活動の一環として(若年認知症基礎講座)を毎年開いています。

対象者は介護従事者で定員50名受講料は5000円ですが、大変好評で店員がオーバーになります。

今年は第5回目です

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NPO法人 北海道若年認知症の人と家族の会について・・ (1)

2019-01-04 | 日記

(通称法人 北海道ひまわりの会)について簡単に説明しておきたいと思います。

私は会の運営委員の一人です。2006年9月に設立し現在では総会員300名前後です。

運営委員は 28名で運営しております、毎月定期に開き会の運営について決定して行きます。

各自ボランティアで運営していますが殆どの運営は女性群たちです。

今では会の活動は全道に広がり昨年度は、道内のひまわりの会と交流して、北海道のひまわりの会連絡協議会が発足しました。

(空知ひまわりの会・東胆振ひまわりの会・旭川ひまわりの会・北見たんぽぽ)の5団体です。

今後団体は年に二度集まり連携しながら、道内各地で孤立していると思われる若年認知症の人と家族とのつながりの輪を広げて行く事を確認しています。

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(若年認知症の人と家族への支援の手引き)小冊子について

2019-01-04 | 日記

北海道若年認知症の人と家族の会、では長年の実績に基づき、もしも若年認知症になっても本人・ご家族にとって参考となる小冊子の編集発行しています。

今では小冊子は札幌市が発行元となり配布しています。内容は

l  若年認知症は介護サービスを受けられるの?

l  介護保険のサービってどんなものがあるの?

l  障碍者手帳を持つとどんな制度・サービスを利用できるの?

l  障害年金・特別障碍者手当について教えて・・等悩みを抱えている人達にとって参考となる小冊子です。

制度・利用については各都道府県によって違いはありますが基本的には同じものと思います。

多くからの要望もあり発行部数が少ない為、ご希望の方はコメント欄でお問い合わせください。

 

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