じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

長い間ご無沙汰しておりました。

2006-06-05 23:29:55 | Weblog
思うところがありまして、
しばらく、お休みさせていただいておりました。


何も言わずに更新を止めてしまっていたのにもかかわらず
こまめにコメントを残してくださったあなたさま、

メールなどで応援してくださったあなたさま、

そして、
こっそりと時折のぞきに来て下さっていたあなたさま、

本当にご心配をおかけいたしました。
そして、ありがとうございます。

心より御礼申し上げます。


少しまた、書けそう。そして―書けるうちは書きたい

まだしばらくの間、公共の場をお借りして、
「じいたんばあたん観察記」を綴っていきたいと思います。

どうぞよろしくお付き合いくださいませ。


*********
 

二月ごろからどのようにすごしていたかについては、
次に載せる予定の記事「じいたんの笑顔がまぶしい」にて
少しだけ触れております。

ここから下はそれとは別に、思うところを書いてみたいと思います。



公の場所に文章を綴るということ
それから
このままブログを続けていくことに、
非常に迷いを感じておりました。

なるべく客観的に綴りたい
いろんな立場を踏まえながら…と願いながらも、

この手の文章というものは、究極のところ
「わたしがどう感じたか」という部分に柱を置いてでしか
綴ることはできないし、
またそうでなければ綴る意味が無いというのが
わたしの、正直な感想です。


一方、わたしがこのブログで扱っているのは、
「祖父母の介護」と、それにまつわる、ごくデリケートなテーマであります。

つまり
日常は人様にさらすことの無い部分
―わたし自身の生い立ちなどにも触れるような記事も、
いくつか書いてきています。

なかには、
身内の恥を晒す、行儀の悪い所作だといわれても仕方のない
あるいは
面と向かって言えないことを、記事という一方的な形で吐き出している
そんなお見苦しい記事もあるかと思います。

そういった、いわば
大事な誰かを―自分をも含めて―傷つける可能性を孕んだ記述
リスクを負いながら書き続けていくことが、
果たしてよいことなのかどうか

そこまでして何をわたしは書きたいのか
書くことに確かな価値があるのか

そのあたりを、自分のなかでクリアにすることができなくて
しばらくの間、編集画面に向かうことができませんでした。


(その間、
 SNSの日記に細々と、ごく簡単に
 日々のできごとなど、気持ちなどを綴っておりました。)


好きなだけ 逃避してみて
四ヶ月近くでしょうか
最後に、こんな気持ちが残りました。


伝えたいこと、まだ、山ほどある。


普通の30代とは少し毛色の違う、今の生活。
途中、気分がやさぐれちゃうこともあるけれど
ときには、怖くて足がすくむこともあるけれど

そんな中に

ささやかだけど、とびきりすてきなこと
目立たぬけれど、一生心に残るような瞬間が
確かに存在しています。

たぶん、こういったことは
介護という文脈では、あまり語られない部分だと思うので
拙くても、少しでも、書き残しておきたい。

毒吐きのようなことも含めて
何故なら
それがない生活なんて嘘だし
そんな苦しい時間があるからこそ、喜びもまばゆいのだから

だからもう、迷うのはやめようと思いました。

(直近の記事については、読み返すと結構暗いので
 そのへんのさじ加減をもう少し考えつつ)

多分わたしのことだから、
またすぐに、うだうだ悩んだりもするのでしょうが
それでも、細々と続けていけたら、嬉しいです。


最後までお目通しくださいましたあなたさま、心より感謝申し上げます。