じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

紫陽花の花に教えられ。

2006-06-21 05:06:30 | じいたんばあたん
一つの木に、色とりどりの紫陽花なんて珍しい気がして、携帯カメラでパチリ。
写真では少し分かりにくいかな?


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先日じいとドンパチやって
翌日、ちゃんと仲直りしたはずだったのだけれど


昨夜、家計簿などファイナンシャル・プランニングに必要な
資料を、何時間かかけてチェックしていたところ、
何の前触れもなくじいたんが怒り出してしまった。

誤解があったようなので、それを解こうと話をしたのだが
却って油に火をそそいでしまう形になり
じいたんは、無かったことにするのが難しい暴言をのたまった。
今文字にしようとしても、喉が詰まって苦しくなるような。

そしてさらに

「お前さん、もう二度と来るな。
 ほれほれ涙が出るのかい?ざまあみろ!
 帰れ、帰れ!」

こうなると、もう作業どころではない。
伯父に電話を入れ事情を説明して
(本当に出入り禁止になった場合を考えてのことだ)
資料は持ち出し、自宅へ戻った。

帰り道、一人でとぼとぼ歩いていて
ただただ疲れだけを感じた。

泣いたりする気持ちもうせてしまって
自分の感情というものが、どこにあるか分からなくなった。


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朝目覚めても立ち直れないまま、近所に用事をしに出かけた。
帰り道、公園をとぼとぼと歩いていると
一つの木に色んな色の花をつけている、変わった紫陽花に出会った。




思わず近づき、花弁に触れた。
その手触りは、しっとりと優しく柔らかで

「辛いときは、泣いても、いいよ」

そう、紫陽花に慰められたような気がした。


たまたま朝、ちょうど紫陽花の花言葉に関するブログ記事を読んだ。

  そこには、

  紫陽花の花言葉は一般的には「移り気」
  だけど「ひたむきな愛情」という言葉もある

といったことが紹介されていた。



じいたんのこころに調和したいんだ、という素直な気持ちを
一番大切に、心をフラットにして今日を過ごせばいい。

こころって、自分のものであるはずなのに、自分の思い通りにはならない。
だからこそどうやって折り合いをつけていくかが大切なんだ。
滝川一廣「こころはどこで壊れるか」)

一本に色々な色の花をつける紫陽花を眺めながら
紹介されていた花言葉を思い出すうち、
気持ちがゆっくりとシフトチェンジしていった気がする。


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午後、ファイナンシャル・プランナーの方に
祖父母の、今後の介護に伴う経済計画などを相談しに行った後、
思い切ってじいたんに、電話を入れた。
昨日のことには一切触れず、何事もなかったように。

じいたんも、昨日のことには触れなかった。
それでも声には安堵の色が混じっていた。

今日の相談の概略や、明日税金を代理で納めにいくこと、
ズボンのすそ直しとクリーニング、手洗いのものが仕上がったこと
そしてそれらを届けに明日訪ねることなどを伝えると、

「ああ、いいとも。お前さんに全部、お任せだ。
 おばあさんだって、お前さんを一番頼りに思っていなさるよ。
 くれぐれもよろしく頼むよ。明日、待っているからね」


また、爆発はいつ起こるかわからない。

そういうときは多分
無理に解決しようとしないで、

時間がたつのを待つのが、一番いいのかな。

本来だったらはっきりさせたい部分も
昨日のトラブルの中にはある。だけど、

あいまいなことを、あいまいなままで置いておくこと

灰色なら灰色のままで、それを受け容れて
そうやって、「いま・ここ」を大切にすること

それが、自分の意思を、気持ちを大切にすること
―ありのままの祖父を愛するということに繋がるのかもしれない。
そんな気が今は、している。


◆TB:『紫陽花の花言葉「ひたむきな愛情」』(magnoria




(昨日のことも、もしかすると忘れてしまったのかもしれない。
 一週間前の、伯父と叔母と相方の来訪ももう覚えていないくらいだから。

 それでも、いい。きっと自然な気持ちで受け容れていける。)