一つの木に、色とりどりの紫陽花なんて珍しい気がして、携帯カメラでパチリ。
写真では少し分かりにくいかな?
********
先日じいとドンパチやって
翌日、ちゃんと仲直りしたはずだったのだけれど
昨夜、家計簿などファイナンシャル・プランニングに必要な
資料を、何時間かかけてチェックしていたところ、
何の前触れもなくじいたんが怒り出してしまった。
誤解があったようなので、それを解こうと話をしたのだが
却って油に火をそそいでしまう形になり
じいたんは、無かったことにするのが難しい暴言をのたまった。
今文字にしようとしても、喉が詰まって苦しくなるような。
そしてさらに
「お前さん、もう二度と来るな。
ほれほれ涙が出るのかい?ざまあみろ!
帰れ、帰れ!」
こうなると、もう作業どころではない。
伯父に電話を入れ事情を説明して
(本当に出入り禁止になった場合を考えてのことだ)
資料は持ち出し、自宅へ戻った。
帰り道、一人でとぼとぼ歩いていて
ただただ疲れだけを感じた。
泣いたりする気持ちもうせてしまって
自分の感情というものが、どこにあるか分からなくなった。
*********
朝目覚めても立ち直れないまま、近所に用事をしに出かけた。
帰り道、公園をとぼとぼと歩いていると
一つの木に色んな色の花をつけている、変わった紫陽花に出会った。
思わず近づき、花弁に触れた。
その手触りは、しっとりと優しく柔らかで
「辛いときは、泣いても、いいよ」
そう、紫陽花に慰められたような気がした。
たまたま朝、ちょうど紫陽花の花言葉に関するブログ記事を読んだ。
そこには、
紫陽花の花言葉は一般的には「移り気」
だけど「ひたむきな愛情」という言葉もある
といったことが紹介されていた。
じいたんのこころに調和したいんだ、という素直な気持ちを
一番大切に、心をフラットにして今日を過ごせばいい。
こころって、自分のものであるはずなのに、自分の思い通りにはならない。
だからこそどうやって折り合いをつけていくかが大切なんだ。
(滝川一廣「こころはどこで壊れるか」)
一本に色々な色の花をつける紫陽花を眺めながら
紹介されていた花言葉を思い出すうち、
気持ちがゆっくりとシフトチェンジしていった気がする。
***************
午後、ファイナンシャル・プランナーの方に
祖父母の、今後の介護に伴う経済計画などを相談しに行った後、
思い切ってじいたんに、電話を入れた。
昨日のことには一切触れず、何事もなかったように。
じいたんも、昨日のことには触れなかった。
それでも声には安堵の色が混じっていた。
今日の相談の概略や、明日税金を代理で納めにいくこと、
ズボンのすそ直しとクリーニング、手洗いのものが仕上がったこと
そしてそれらを届けに明日訪ねることなどを伝えると、
「ああ、いいとも。お前さんに全部、お任せだ。
おばあさんだって、お前さんを一番頼りに思っていなさるよ。
くれぐれもよろしく頼むよ。明日、待っているからね」
また、爆発はいつ起こるかわからない。
そういうときは多分
無理に解決しようとしないで、
時間がたつのを待つのが、一番いいのかな。
本来だったらはっきりさせたい部分も
昨日のトラブルの中にはある。だけど、
あいまいなことを、あいまいなままで置いておくこと
灰色なら灰色のままで、それを受け容れて
そうやって、「いま・ここ」を大切にすること
それが、自分の意思を、気持ちを大切にすること
―ありのままの祖父を愛するということに繋がるのかもしれない。
そんな気が今は、している。
◆TB:『紫陽花の花言葉「ひたむきな愛情」』(magnoria)
(昨日のことも、もしかすると忘れてしまったのかもしれない。
一週間前の、伯父と叔母と相方の来訪ももう覚えていないくらいだから。
それでも、いい。きっと自然な気持ちで受け容れていける。)
写真では少し分かりにくいかな?
********
先日じいとドンパチやって
翌日、ちゃんと仲直りしたはずだったのだけれど
昨夜、家計簿などファイナンシャル・プランニングに必要な
資料を、何時間かかけてチェックしていたところ、
何の前触れもなくじいたんが怒り出してしまった。
誤解があったようなので、それを解こうと話をしたのだが
却って油に火をそそいでしまう形になり
じいたんは、無かったことにするのが難しい暴言をのたまった。
今文字にしようとしても、喉が詰まって苦しくなるような。
そしてさらに
「お前さん、もう二度と来るな。
ほれほれ涙が出るのかい?ざまあみろ!
帰れ、帰れ!」
こうなると、もう作業どころではない。
伯父に電話を入れ事情を説明して
(本当に出入り禁止になった場合を考えてのことだ)
資料は持ち出し、自宅へ戻った。
帰り道、一人でとぼとぼ歩いていて
ただただ疲れだけを感じた。
泣いたりする気持ちもうせてしまって
自分の感情というものが、どこにあるか分からなくなった。
*********
朝目覚めても立ち直れないまま、近所に用事をしに出かけた。
帰り道、公園をとぼとぼと歩いていると
一つの木に色んな色の花をつけている、変わった紫陽花に出会った。
思わず近づき、花弁に触れた。
その手触りは、しっとりと優しく柔らかで
「辛いときは、泣いても、いいよ」
そう、紫陽花に慰められたような気がした。
たまたま朝、ちょうど紫陽花の花言葉に関するブログ記事を読んだ。
そこには、
紫陽花の花言葉は一般的には「移り気」
だけど「ひたむきな愛情」という言葉もある
といったことが紹介されていた。
じいたんのこころに調和したいんだ、という素直な気持ちを
一番大切に、心をフラットにして今日を過ごせばいい。
こころって、自分のものであるはずなのに、自分の思い通りにはならない。
だからこそどうやって折り合いをつけていくかが大切なんだ。
(滝川一廣「こころはどこで壊れるか」)
一本に色々な色の花をつける紫陽花を眺めながら
紹介されていた花言葉を思い出すうち、
気持ちがゆっくりとシフトチェンジしていった気がする。
***************
午後、ファイナンシャル・プランナーの方に
祖父母の、今後の介護に伴う経済計画などを相談しに行った後、
思い切ってじいたんに、電話を入れた。
昨日のことには一切触れず、何事もなかったように。
じいたんも、昨日のことには触れなかった。
それでも声には安堵の色が混じっていた。
今日の相談の概略や、明日税金を代理で納めにいくこと、
ズボンのすそ直しとクリーニング、手洗いのものが仕上がったこと
そしてそれらを届けに明日訪ねることなどを伝えると、
「ああ、いいとも。お前さんに全部、お任せだ。
おばあさんだって、お前さんを一番頼りに思っていなさるよ。
くれぐれもよろしく頼むよ。明日、待っているからね」
また、爆発はいつ起こるかわからない。
そういうときは多分
無理に解決しようとしないで、
時間がたつのを待つのが、一番いいのかな。
本来だったらはっきりさせたい部分も
昨日のトラブルの中にはある。だけど、
あいまいなことを、あいまいなままで置いておくこと
灰色なら灰色のままで、それを受け容れて
そうやって、「いま・ここ」を大切にすること
それが、自分の意思を、気持ちを大切にすること
―ありのままの祖父を愛するということに繋がるのかもしれない。
そんな気が今は、している。
◆TB:『紫陽花の花言葉「ひたむきな愛情」』(magnoria)
(昨日のことも、もしかすると忘れてしまったのかもしれない。
一週間前の、伯父と叔母と相方の来訪ももう覚えていないくらいだから。
それでも、いい。きっと自然な気持ちで受け容れていける。)
いっぽんだけ塀から飛び出た枝。
ちょうど私の頭にあたる位置。
なんか、頭を撫でてもらってるんだよ(笑)
気分が和らぐよね…
草木を見ていたりすると
ふっと心が軽くなる時がありますね。
私もそんな時は自然と外に足が向いているようです。
そして、あじさいの花言葉、初めて知りました。
1つの花なのにまったく逆の意味を持っているなんて
まるで人の心そのままみたい。
TBありがとうございました。
固かった頭がゆるゆるっとやわらかくなって、気持ちがすうっと穏やかになりました。
自然って優しいなって思いました。
お散歩などでの気分転換や、素敵なこと探しでハッピーな気持ちになることを、とても上手になさっているなぁってブログを拝見していていつも思います。一緒に散策をさせていただいているような気分になれて…わたしも見習わなくちゃ。
あじさいの花言葉、よかったらリンク先の記事もお目を通してみてください^^ とても素敵なブログなんです^^
それか、凹み具合によって、
草木が目に付くのかもしれないね、
癒されたくて(笑)
すてきな ブログのご紹介も ありがとうございます
じいたんも 色々と とまどって おられるのかも しれませんね。
たまさんが 本音で ぶつかって 受け容れて 見守ろうとしてくれてる。
受け容れるって 大変ですよね。
ゆっくり ゆっくり
私は、最近のたまさんがとても好きです。
また、きます。
こんなに自分の置かれた状況に順応して 美しく咲く花って珍しいですよね。
それなのに「移り気」なんて、今しか見ない人が付けた花言葉ですね。わかっていないんだなあという気がします。
そういうことって現実社会にも多いですよね。紫陽花は、誰が何を言おうがお構いなしに美しい。雨に打たれてさえ美しいですね。
もう一つの「高慢」はどこで咲いても目立ってしまう紫陽花の存在感から来ているそうです。あんなに優しい花だのに。
私は紫陽花が花の中で1番好きです。
以前、狭いベランダで大小の鉢を50個も育てていたことがあります。
知らない土地で二人の子の育児の真っ最中など、辛い気持ちを花の植え替えなどしていると癒されました。
鉢花と縁が切れないのは、今もそうなのかもしれませんね。
折り合うって結構、大事だなと思うときあります。そして結構難しいと思うことも
しろに黒にもグレーにもなるのが人の気持ちでわかりようのないものかもしれませんが、人の言葉って、色のついた筆のようなものなのかもしれませんね。
こういうときにはぐっと語りかけてくれるのが不思議です。
草木だけじゃなくて動物も、空も風も土も。
いろんなものが、わたしが生きることをさりげなく支えてくれているんだなって、こういうときに感じます。
なんていって実は、ただのわたしの妄想癖なのかもしれないけど(笑