じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

取捨選択。

2005-11-15 06:15:26 | 介護の周辺
何かを選べば、何かを捨てることになる。
折り合いがつかないときは、割り切るしかないときも、ある。





30代というひとつの「盛り」に
「祖父母の主たる介護者」という役目を選んだ
そんな、わたしの生き方を

「黙認はしているけれど、理解できない」
と先日、告げられた。
「私たちのことは、平気でほったらかしで」とも。

実の母から、妹から。



わたしにしてみれば

彼らにはそれぞれパートナーもあり、
支えてくれる周囲もあり、
わたしが彼らの側にいる必然性はない。

なにより

わたしが生理的に受け付けない…つまり
決して属することができないコミュニティの中で
今はもう、生きている。

立場だけじゃなくて「人生に対する考え方」がちがうのだ。

例えは悪いけれども、
日本と、とある国が、真に理解しあうことが
ほぼ絶望的であるという事実、それと同じことだ。





もちろん私にだって、他にもやりたいことはある。
やれることだっていっぱいある。

人材育成や営業職の仕事に関われば、実力を発揮する自信がある。
いずれは家庭も持ちたい。

何より 介護と天秤にかけた「夢」
…大学に行きなおして(それも海外のだ)Ph.Dを取得したい。


だけど、だけど。
じいたんとばあたんの介護は今しか出来ない。


側にいればいるほど愛おしくなる、彼らの存在。

わたしにとって、彼らは、
縁あって天が預けてくれた、かけがえのない命なのだ。


彼らを愛している。
彼らを、愛している。

理由なんかない。ただ愛おしい。

今彼らを看ることにベストを尽くせなければ、
絶対に一生、後悔する。


わたしは、この、自分の感情を、信じる。




これからまだまだ試行錯誤が続くだろう。
怖ろしい長期戦に、怯む気持ちがないとは言わない。


怯む自分もちゃんと、認めながら、少しずつでも前進する。


じいたんとばあたんを護りながら
自分のやりたいことも、やって


皆で喜べる道を見つけてみせる。
やる前から諦める必要なんて、どこにもない。



「そんなことできるわけないじゃん」って

やりもしないうちから、よく言うよ。


人事を尽くすからこそ、天命を受け入れられるのに。


追伸:

人格を磨くのにも、
忍耐と愛と献身を学ぶのにも
介護をするというのはもってこいの機会だ
と喜んでいる私は、楽観的すぎるのでしょうか?

正直、心身も多少傷め、周りにも心配をかけ、
失敗も数知れずだけれど…

自らの身を削って打ち込まないと分からないことが
人生には、たくさんあると思うのだ。