じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

じいたんを送り出す、大冒険へ。

2005-11-10 10:02:47 | じいたんばあたん
今日は、ばあたんの見舞いの日なのだが、


ここのところ体調が良くないわたしは、
明け方からずっと、むかつきがひどくて、吐いている。
ばうが、出勤前までずっと、ついていてくれたけれど
一向によくならない。そして発熱。

バスに往復1時間半も揺られるのは、ちょっと無理…。


(昨夜も、早く床に入ったのに、気持ち悪くて眠れず、
 ブログのコメントレスをしていた。
 多分、新しく処方された薬の副作用か、もしくは
 頚椎からきているのだと思う…)



それで、思い切って
じいたんに、お願いするつもりで朝、電話を入れた。

「明日・明後日、伯父さんが出張のついでに寄るので
 明後日一緒にお見舞い行って」

と。


**************


ところがじいたんは

「じゃあ、おじいさん一人で行ってくるよ」

と言ってきかない。

・・・何度一緒に行っても、少し目を離したら
バスの乗換駅で道を間違える、じいたん。
去年、東京駅まで送っていったときだって、散々だったのだ。



「お願いだから、それはしないで。
 でなければ這ってでもついていくから」

というわたしに、じいたんは、言った。


「おばあさんと約束したんだよ。
 おばあさんは、覚えておいでではないかもしれないが、
 約束したから是非、顔を出したいんだよ。

 それに、お前さんにだって、早く治ってもらわなくちゃね。
 おじいさんもおばあさんも、お前さんが頼りなんだから。

 大丈夫、お前さんの分も、おじいさんは今は健康だから
 道を間違えるのも計算に入れて、のんびり行ってくるよ」



…途中駅でのバスの乗換えが、
わたしが一緒についていても危なっかしい、じいたん。

以前バスの中で私がうっかり熟睡してしまい、
じいたんだけバスを降りてしまったときのこと、
…忘れてしまっているのだろうか。


人に道を尋ねたところで、
祖父が90代だということを配慮して話してくれる人は、まれだ。

そして、じいたん自身、左と右をしばしば間違える。
少し用を足して出てくると、もう方角がわからない…


正直、ものすごく不安である。

かといって、私が道端で具合を悪くしたら、立ち往生だ。


仕方なく

何を着ていくべきか(上着など)厳守することをお願いし、
そして携帯の使い方を何度も復習してもらい、
緊急事態じゃなくても何かあればすぐ電話をするよう頼み、

結局祖父一人で出かけてもらうことにした。



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正直、心配で余計、参ってしまいそう。
横になっていてもそわそわしてしまって、
今ブログを書いている。


だけど、その一方で
じいたんが「こうしたい」と強く希望することは、
なるべく、望みどおりにさせてあげたい、そう思うわたしがいる。


彼は尊厳を持った、ひとりの人間なのだ。
そして今は、健康なのだ。

(年齢が年齢だけに、一度体調を崩したら
 あっという間に、せん妄が出るレベルまで弱ってしまうにしても)


もし、何かあったら、必ず連絡をくれると信じて、
じっと帰りを待つことだって、
きっと、わたし=介護者の「務め」だ…と無理やり自分を納得させて。


じいたんの年齢を考えれば、
これが最後の「ひとりの遠出」にならない保証は、
どこにもないのだ。

誰だって、自分ひとりで出来ることは、自分でしたいものだ。
介助を受けるというのは、基本的に快適なことではないのだから。


それに、

もしこれで、じいたんがが無事行き帰りできたら、
彼にとって記念すべき出来事になる。

じいたん一人でそんな遠出をするのは、はたして何年ぶりだろう。


じいたんが、
無事、行って、帰ってきてくれますように…
夕方まで祈るしかない。

そして、自信をつけてくれれば。
そう思う。