昔、今から三千年も前、イスラエルの最大版図を極めた王がいた。その名はダビデ。今のイスラエルもダビデの旗を国旗としている。この王の最大の失敗と言えば、バテ・シェバ事件だ。
隣国アンマン人との戦いに目鼻をつけたダビデ王は、後の仕上げを軍団長ヨアブに託し、自分は王宮でのんびりと午睡していた。目覚めた王が屋上を何言う事もなくぶらついていると、部下たちが住む家並みの中、ふとひとりの美しい女が汚れから身を清めるために水浴びしているのを見る。
男性の心理から見るなら、これほど危険な状況はない。部下たちは命を張って戦っている。いくらすでに勝敗の行方は決していると言っても、戦いに王の心はムズムズし、穏やかではなかったはずである。心を静めようとしたそんな時、偶然の光景に目を奪われ、男の悲しさ、情欲を誘発される。
相手は部下である将の妻であった。今の世ではわかりにくいが、王とか殿とかの権力者には家の存続、つまり世継ぎは絶対的なものだ。だから妻は何人娶ろうが、それは王の役得である。しかし他人の妻となると、王と言えども簡単ではない。離婚させた上、然るべき時に婚宴を上げなければ、法の執行者、統治者として示しがつかない。
しかしこの時のダビデは見境がつかなかった。愚かにも法を無視して召し、それで子どもまで出来てしまう。何でもそうだが大切なのは、この魔が挿したような(クリスチャン的には悪霊に入られてしまった罪)不始末の後始末の方である。(※ある姉妹が、「この時、ダビデは祈っていなかった」と鋭く指摘したが、まさにその通りてある。彼は信仰から心がずれていたのだろうし、その当然の結果なのだ) 人間ダビデはさすがにまずいと思ったのか、子を夫ウリヤのものにして(あるいは押し付けて)、姦淫という事実は無かったことにしたかった。まことに人間的で我儘で姑息なやり方である。ここでは神に悔い改め、聞くという姿勢が、全くなかった。
このために王はウリヤを前線から呼び戻し、妻の待つ家に帰らせ、既成事実化しようとした。ところがウリヤは王に「今、戦い中で自分だけがぬくぬくと食べたり飲んだりし妻と寝ることはできない」と、王の命令を拒んだ。仕方なく王は、ウリヤを最前線に送り、戦死させるように軍団長に命じた。これは殺人である。
(絵は預言者ナタンによって、罪を指摘されるダビデ王)
ところでこの経緯を読んで、この度ウリヤの気持ちになってみた。私の憶測では、ウリヤは事の次第を知っていたか、あるいは戦いの最中に呼び戻され、妻の所に戻れ、なんてとんでもない命令から推測し、大体あらまし気づいていたのではないだろうか、と言う事である。
そうなると、王の命令を拒否すれば、邪魔者になった自分がどうなるか、と言うこともウリヤは読めていたはずになる。ならば彼の拒否の回答は、自分の誇りと身命を賭しての、精一杯の王への抗議として受け取れる。
こうしてウリヤは戦場に戻され、指図を受けたヨアブの下、名誉の戦死をさせられた。神はこの不義の子を赦さず、死に渡し、バテ・シェバが王の妻とされて次に生まれた子ソロモンを、王の後継者にされた。
しかし神の裁きは明白である。この輝かしいダビデ王にまつわる系図において、「ダビデがウリヤの妻によってソロモンを生み」(マタイ1:6)という罪の汚名をこの後、幾千年も、全世界の隅々にまで明るみにされた。偉大な王であるだけに、崇められ神格化されることなく、ひとりの罪人として数えられるように、と。
ケパ