近江国貝津の里 傀儡(くぐつめ)女金子が力量●
近頃近江国かいづに、金といふ遊女ありけり、
その所のさたの者なりける法師の妻にて、年ごろすみけるに、
件の法師、又あらぬ君に心をうつして通いを、
金漏れ聞きて安からず思ひけり、ある夜合宿したりけるに、
法師何心もなくて、例のやうにかのことくはだてんとて、
またにはさまりたりけるを、そのよわごしをつよくはさみてけり、
しばし戯れかと思ひて「はづせはづせ」といひければ、
なほはさみつめて「わが法師めが、人あなづりして人こそあらめ、
おもてをならべたるものに心うつして、ねたき目見けるに、
物ならはかさん」といひて、ただしめにしめまさりければ、
既に泡をふきて死なんとしけり。その時はづしぬ。
法師はくだくだと絶え入りて、僅かに息ばかりかよいける。
水吹きなどして、一時ばかりありて生きあがりにけり、
かかりける程に、そのころ、東国の武士、
大番にて上京すとて、このかいづに、日たかく宿しけり、
馬ども湖に引き入れてひやしけるその中に竹の棹さしたる馬のすずしげなるが、
物に驚きて走りまひける。人のあまた取りつきて、
引きとどめけれども、物ともせず引きかなぐりて走りけるに。
この遊女行きあひぬ、少しも驚きたることもなくて、
高きあしだをはきけるに、前をはしる馬のさし縄のさきを、
むずふまへけり、ふまへられて、かひこづみて、やすやすと留まりにけり。
人々目を驚かすことかぎりなし。
そのあしだ砂に深く入りて、足くびまでうづまれにけり、
それよりこの金、大力の聞こえありて人おぢあへりける、
みづからいひけるは「わらはをばいかなる男といふとも、
五六人してはえしたがえじ」と自称しける。
ある時は手をさし出して、五つの指ごとに弓をはらせけり、
五張を一度にはらせける、指ばかりの力かくのごとし、
誠におびただしかりけるなり。
(『古今著聞集』巻第十 相撲強力より抄出)