茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

黄鶯(こうおう)けんかんす 七十二候第二

2010年02月10日 | Weblog
七十二候の東風解凍に続くのが
「黄鶯けんかんす」なのですが、
変換ができませぬ・・・。
(目偏に見)と(目偏に完)で、
「声の美しい様」を表すそうです。

うぐいす初鳴き前線を見ると、
このあたりは今月末あたりです。
今のところは
甘~いうぐいす餅を堪能しておきましょう。

画像は吉祥寺虎屋さんのうぐいす餅。
あまりに見事な鶯振りに感動し、
その夜、
白玉粉を練り練り。
されど、いじればいじるほど
鶯から遠ざかっていくばかり・・・。

この何気ないひねり、
ちょっと違うだけで
きみどり猪子もち。
デスラー。

この吉祥寺虎屋さんのうぐいす餅が、
では、鶯に似ているのかと言えば、
本物の鶯は
とりあえずもう少しメリハリがあるわけで、
でも、これは一目で鶯だとわかりますし、
さすが和菓子職人さんです。

先日、
茶筅通しのお仕舞いの手について
どうしてまた一度上げて一回り見るのか
ということを書きましたが
中学生にお稽古をつけておいでという
先生が素敵なことをおっしゃいました。

「しゃばしゃばして
 すぐにさっと上げてしまうのでは
 美しくないじゃない?
 間というのが日本の文化の素敵なところだから
 なんとなく
 ひと間あるときれいでしょ。」

なんとなくそう思うのよという先生の声は美しく、
お茶と誠実に相対してきている自信に満ちていました。
まだ寒いけど、もうなんとなく春ですし、
鶯餅もなんとなく鶯ですし、
私たちはたくさんのなんとなくの中で生きているのですね。