今日も快食、快眠、快便!

「快食、快眠、快便」を座右の銘として実行すべく、その達成度と日々の記録やあれこれ。

旅立ち

2019-02-22 10:59:34 | 日記とか


実の母が亡くなりました。

去年の9月に脳出血で倒れて、死ぬか生きるかってところからお箸で普通食を完食できるところまで回復して、1カ月前に退院して、とってもいい施設に入所できたところだったので残念です。

入院した時から、脳出血による脳の破壊なのかせん妄なのか認知症なのか、とにかくずっと何故自分がこういう状態なのかが理解できず苦しんでいた。
それでもリハビリして体が治れば自宅に戻れると信じて頑張ってきたけど、自宅ではなく施設に行ったから尚のこと混乱しちゃったみたい。
「ここはどこ? 私はなぜここに?」と。
しかも入所時インフルエンザ対策でいきなり面会禁止になっちゃったからね。

施設を訪問した時、入所者の書道や作品が飾ってあったので、社交的な実の母なら入所者の皆さんとおしゃべりしたり書道やお花を育てたりして穏やかな日々を過ごせると思ったんだけど、なんか娘達に置き去りにされたような気になったんだと思う。
結果、水分や食事を摂らなくなり弱ってしまった
「食事をしなければ死ねる」と言っていたようで、認知症なら食べたのにそのこと忘れてまた食べるって聞くから、ある意味自分の意志でハンストというか、自殺行為と言えなくもない
ターミナルケア(看取り)に移行してからは面会が自由になったので、姉と妹は頻繁に行ってたんだけどね(こんな時に私は骨折であまり顔出しできなかった
入院中からそうだったんだけど、尿意や便意があるのにオムツの中にしなくちゃいけないっていうのもすごく嫌だったみたいで、飲んだり食べたりしなければオシッコもウンチも出ないでしょとも言っていた。
そんな訳で姉と妹にはかなり恨み節だったようだけど、養女に出した負い目があるからか、私と夫にはそんなことなかった。
(それはそれで私に対して最後まで遠慮があったのかなと、寂しいやら申し訳ないやら
せっかく自分で食事ができる状態になったのに、こういうことで死に向かうのはすごく悲しいし残念です

ただ、最後は母の気持ちを尊重したわけで、姉も妹も母にとってのベストを尽くしたので悔いはない、と。
私も「産んでくれてありがとう。幸せだったよ。」と最後にお別れの挨拶ができたので良かったです。
母は5年前に亡くなった父のことが大好きだったから、何が何だかわからないで生きながらえるよりも今はあの世で父と再会できて安心しているのではないだろうか。
生きてる人の勝手な解釈だけど、とにかく最期は安らかに旅立ちました。
お母さん、お疲れさまでした。


ところで、27年前に骨折した時、娘の保育園の卒園絡みでママ友との打ち上げがあって、それに行くのがすっごく嫌だったんだけど、骨折したから結果行かなくて済んだんだよね(笑)
今回は実の母が死に直面してる肝心な時にお見舞いにも行かれず…と思っていたけど、亡くなる前日に所属団体の定例会議があって、それがすごく大事な会議だったから骨折してなかったら出席してたはずなのよ。
その会議がいつもより大変で夜遅くまで紛糾したようなので、多分翌日は疲れて母の見舞いには行かないって選択をしてたかもしれない。
そしたらお別れもできないままに逝かせることになったから、結局のところ今回の骨折は母とお別れさせてくれるためだったんじゃないかと思ったりして。
3月から私の仕事も忙しくなるし、実の母は迷惑かけないようにその前に旅立とうと思ったのかな、とも思ったりして。

はい、それに比べてうちの母ったらさ~。
と、この話始めると長くなっちゃうのでまた今度愚痴らせてもらいます(笑)

あ、カフェオレは元気で前向きにやっておりますのでご心配なく

 

 

コメント (8)
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