オベロン会ブログ

英米文学の研究会、オベロン会の専用ブログです。

1月のオベロン会報告

2012-02-14 | ねるど

寒い寒いと思ってましたが、少しずつ春に近づいてる
感じですね。少なくとも昼が長くなりました。北風に
吹かれながら、寒さが永遠に続くような気がしたものですが、
時は着実に流れ、春はもうすぐそこ・・・です。

さて、ご報告が遅れてしまいましたが、1月のオベロン会の
ご報告です。

発表者は伊達直之さん。メインのテクストは、W.B.イエーツ(1865-1939)の
晩年の詩「市立美術館再訪」"The Municipal Gallery Re-visited" (1937)
でした。

ダブリンの市立美術館のギャラリーにたたずむイエーツ。
彼はすでに老詩人である。彼が訪れた美術館の中の一室には、
かつてアイルランドの独立のために若き情熱を燃やした人々
の絵が飾られている。

イングランドからの独立を求めての蜂起(1916)、厳しい弾圧を
受けての挫折(1922)、アイルランド自由国として不完全な独立
(1923)、それに続く内乱・・・

文化人としてこれらの激動と混乱の時代を生きたイエーツにとって、
ギャラリーに飾られた絵画の一つ一つは、彼の人生の記録そのもの
であった。しかも、かなり苦い思いでの記録であった。なぜならば
そこに描かれている風景は、たとえどれほど希望に満ちた一コマが
そこに切り取られていようとも、結局は悲劇の結末を迎えることに
なることを老詩人は知っているから。

「市立美術館再訪」は、詩人と読者がダブリン市立美術館の一室を
訪れる作品です。「再訪」とはいっても、読者のほとんどはその場所を
初めて訪れるわけで、厳密な意味での「再訪」ではありません。
それどころか、詩人にとってもその場所を訪れるのはその時が初めて
だったのかもしれません。しかしながら、そんなことは問題ではありません。

ギャラリーの絵に描かれている世界の中に、かつて詩人自身が存在していた
のですから。詩人にとってそれは確かに「再訪」なのです。そして、その
詩を精読することにより、ダブリンの市立美術を一度も訪れたことのない
読者も、その場所を「再訪」することができるのです。

・・・・・

今回の発表で伊達さんは、プロジェクターを使ってそこに読み込まれている
絵画を示しながら、イエーツの詩行を詳しく読み解いてくれました。
もちろん、20世紀初頭にアイルランドが経験した外交内政両面の混乱についても
たっぷりと語ってくれました。

おかげで、まだアイルランド未訪問の私も、ダブリン市立美術館に
限っては「再訪」した気分になれました。



最後に、伊達さんがとくに力点を置いた3行を引用しておきます。

'This is not,' I say,
'The dead Ireland of my youth, but an Ireland
The poets have imagined, terrible and gay.'

詩人は言う。「これは私が若い頃の、もう死んでしまったアイルランド
なんかじゃなくて、詩人たちが想像してきた、たいへんだけど元気な
アイルランドなんだ。」

つたない翻訳、失礼します。(だいたい、老詩人は「~なんだ」なんて
言わないはずですが、まだまだ老境に達するほどではないので、ご勘弁
のほどを・・・



伊達さん、お忙しい時期に(そして体調が万全でないところ)
ありがとうございました。







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