オベロン会ブログ

英米文学の研究会、オベロン会の専用ブログです。

6月のオベロン会報告

2011-06-28 | てこな姫

今年は、もう、梅雨明けなのでしょうか? 


南九州地方は、例年よりおよそ2週間も早く、
梅雨が終わってしまいました。       


夏らしい夏も、
それはそれでよいものですが、
節電の夏の今年、
盛夏の到来は、やっぱり少し、怖いですよね。

さてそんな、いまにも終わりそうな梅雨の土曜日、
オベロン会例会がありました。


発表者は武井ナヲエさん。



ポルトガル詩人でお話しされるとのことでしたが、
フェルナンド・ペソア
(Fernando Pessoa, 1888—-1935) での発表でした。


ペソアはあまり日本では紹介されていない詩人でして、
これから、遅まきながらの再評価が始まるのでしょうか。
世代的には、エリオットなどのモダニストたちとほぼ同じ。
今では、母国ポルトガルで国民的詩人となっています。
また、70を越えるペンネームを使い分けたりと、
実にユニークな詩人・文学者なのです。

いまさっき、
「日本ではあまり紹介されていない」と書きましたが、
実は、
筑摩世界文学大系 88巻 『名詩集』において、
武井さんの訳で、数編の短詩が訳されています。


また、「現代詩手帖」で特集が組まれたり (1996年)
ペソアの散文作品『不安の書』が翻訳されていたり(新思索社)と
それなりの紹介はされてきています。
(抄訳『不穏の書』も思潮社から出ています)


でも、ポルトガルでの破格の評価を知ると、
まだまだ、十分な認知をされていないとしか言えません。


ペソアは、いまだに「隠された大詩人」なのです。


そんなペソアですから、
一回の例会発表で、全貌を知ることはなかなか難しいのですが、
武井さんは、
上述の『名詩集』に訳された詩作品を中心に、
ポルトガル語原文、
英語訳、そして日本語訳の三語対訳で丁寧に解説してくださいました。


本名であるフェルナンド・ペソアで書かれた作品のほか、
アルベルト・カエイロ (Alberto Caeiro),
リカルド・レイシュ (Ricardo Reis),
カンポシュ (Álvaro de Campos ) といったペソアのもっとも有名な
別名 (Heteronym) 作品が紹介されました。


リスボンのフラヌールとして、卓抜なリスボン案内を書き
分類不明の散文奇書『不穏の書』(英訳:The Book of Disquiet)
を遺したペソア。


こんな “トンデモ” な詩人を紹介してもらい、
同人一同、目から鱗の大興奮でありました。


武井さん、刺激的な発表、どうもありがとうございました! 


感動の余波のなか、
いろいろネットで調べていたら、
『不穏の書』についての、ジョージ・スタイナーの書評を見つけました。

これを読んでも、
ペソアがただ者でないことが、
改めて、ビリビリと感じられてきます

しばらくは、ペソアから離れられそうにありませんね


6月のオベロン会

2011-06-10 | ねるど

なんだかジメジメした日が続きますね。

こんなときは、不快指数を蹴散らしてくれるような、
スカッとした何かがほしいですよね。

今月の例会が開かれる最終土曜日には、
梅雨入りして、もっとジメジメしてるかもしれません。

さて・・・、

今月のオベロン会では武井ナヲエさんが、
ポルトガルの現代詩人についてお話くださいます。

当日は、日本語訳、英語訳、ポルトガル語原典、
さらには他の言葉の翻訳なんかも入り乱れての
万国国旗のような発表になるのでは…と期待して
います。


ジメジメした梅雨の空を、南欧の爽やかな風で
吹き飛ばしてもらいたいものです。


==========

例会はの日程と場所は以下のとおりです。


6月25日 土曜日 午後2時

国際文化会館 



5月のオベロン会報告

2011-06-09 | ねるど
英文学にかかわる人々にとって5月といえば、
日本英文学会の総会が開かれる時期で、小規模な学会
なんて忘れられがちかもしれません。

ところがどっこい、われわれオベロン会の同人は、
そんなことはお構いなしで、いつもどおり月の
最終土曜日の午後2時に、いつもの国際文化会館
に集まり、英文学について大いに語ったのでした。

今回の発表者は根岸愛子さん、ターゲットは16世紀
イングランドの宮廷人サー・ジョージ・ギャスコインでした。

サー・ジョージは、バッキンガム州の執政官(sheriff)や
治安判事(justice of peace)の父親のもとに生まれます。
このように書くと、なんとなく立派な家柄で(確かに悪くは
ないんですが)、半ば自動的に左団扇の人生を送ることが
できそうですけど、現実はそんなには甘くはありません。

有名どころでいえばイーヴリンやオーブリィと同じような
身分の生まれなんですが、どちらもたいへんな苦労を
強いられたのでした。(おもに金銭面で…)

サー・ジョージ・ギャスコインとて例外ではありません。
おまけにこの人は若いときに多少ヤンチャが過ぎたのか、
父親の遺言によって長子としての権利を弟に奪われて
しまうことになります。

とにかくトラブル続きの人生だったようです。

経済的逼迫を立て直すために、とある裕福な未亡人と
結婚したかと思えば、重婚の裁判沙汰になってしまい
ます。(まあ、最終的には結婚は認められたようです
…)

ようやくのことで荘園の賃貸契約にまでこぎつけたかと
思うと、耕作に失敗してしまい、アテが外れてしまう…

また、戦場で活躍し出世の糸口を見出そうとしても、
上官に恵まれずに、武勲を立てることができない…

などなど・・・・・・

まあ、何をやってもいまひとつ乗り切れない
人生をおくっていたようです。

そんな彼が最後に思いついた一攫千金の方策がこそが文学、
つまり筆で身を立てるという道でした。

といっても、現代的な意味での文筆業、つまり商業作家を
志したわけではありません。文学作品を後援者(パトロン)を
見つけるための武器にしようと考えたわけです。

そんな彼が、人生の命運をかけて発表した第1詩集が『百花繚乱』
(A Hundredth Sundrie Flowers)でした。

ところが、ギャスコインはまたまたしくじってしまいます。
満を持して発表した自信作のはずが、内容があまりに奔放だった
ために、枢密院の不興をかってしまいます。宮廷内の人間模様を
スキャンダルに仕立て上げたとみなされちゃったわけです。
(残念…)

しかしながら、ギャスコインはここで終わっちゃったわけでは
ありません。自分自身のキャラクターを設定しなおして、
文筆家としてみごとにカムバックを果たします。

復帰作『ジョージ・ギャスコイン殿の短詩』(The Posies of George
Gascoigne Esquire)において、選んだキャラクターが「悔い改めた
放蕩息子」っていうんですから、なんだか楽しいじゃないですか。
自虐ぽいいところがいいですね!読んでみたくなります。
しかも、彼の場合、半分以上事実なわけですからなんとも意味深です。
(ぜひとも精読して、「本当に悔い改めたのか」きっちりと吟味して
みたいものです。)

その後も『狩猟の高貴なる技術』(The Noble Arte of Hunting)や
『ケニルワース城での君主に似つかわしい娯楽』(The Princely
Pleasures at Kenilworth Castle)などを発表し、宮廷の中で
有力な後援者を見つけようと奮闘努力を続けます。

『狩猟の高貴なる技術』には、狩猟好きで知られるエリザベス女王を
モデルにしたとしか思えない版画が添えられていたりして、
案外大物ターゲットにロックオンしていたことなどがうかがわれます。

さまざまな努力が実って、ギャスコインは最終的には女王の庇護を
受けて、政府雇いの職を手に入れるんですが、それは彼が死ぬ
前年のことでした。(人生って厳しいもんです…。)

・・・・・・

16世紀の宮廷文化や文学について造詣の深い根岸さんは、
ギャスコインのさまざまな著作から、テクストだけでなく、
添えられた版画についてもご紹介くださり、私たち不慣れな
聴衆を、華やかで厳しい宮廷社会へといざなってくれたのでした。

とちゅうからは、やはりルネッサンスの宮廷文化に一家言ある
女性同人2人も話しに加わり、鼎談形式で発表は展開されて
いったのでした。

会場の都合もあり、議論はとちゅうで打ち切りとなって
しまいましたが、宮廷文化の一端に触れることができて、
とても楽しいひと時を過ごすことができました。

根岸さん、どうもありがとうございました。


筆者的には、「悔い改めた放蕩息子」という自虐キャラが
魅力的で、腰をすえて読み込んでみたいという気がしています。