ホリスティックライフ in 世田谷

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『同化と他者化 ー戦後沖縄の本土就職者たち』

2022-08-21 17:38:34 | 最近読んだ本
岸政彦『同化と他者化 ー戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)



本土復帰前の沖縄からの本土就職について分析した研究書。
復帰前、日本へ渡るにはパスポートが必要だった時代、
集団就職や単身出稼ぎとして沖縄の若者が本土に大量に移動、
本土就職は、歴史的な民族大移動だったとしている。

戦後の復興時、沖縄も好景気で仕事はいくらでもあり、賃金も毎年上昇。
ただし、仕事は大工や左官工など職種が限られていた。

1957年122人から始まり、1960年代には本土からの求人が本格化、
琉球政府や地元メディアの本土就職推進策により多くの若者が本土へ渡った。
1970年代にかけて急増。職安の統計だけでも1970年には1万人を超えており、
それ以外に10倍はいると思われるとしている。
1972年には沖縄の人口が95万人だったが、19万人もの人が日本へ渡っている。

著者が実施した聞き取り調査では、本土で生活した際、不愉快な経験をした者もいたが、
それ以上に、本土での暮らしを懐かしんで話す者のほうが多かった。

本土へのあこがれ、一度は本土で働いてみたい。
沖縄を離れて本土で生活してみて初めて、沖縄への想いがわいてくる。
沖縄にいる時は好きでなかった民謡も大阪のラジオから聞こえてくると、
急に懐かしくなって、沖縄を意識するようになる。

結局、本土就職して数年滞在したのち、ほとんどがUターンして沖縄に戻ってくる。
多数聞き取り調査した中から7人の生活史を紹介しているが、
みな本土での経験を懐かしく思い出しながら語っている。良き思い出として。
実際の語り口調で紹介されており、本土へ移る前の沖縄の様子もうかがえる。
ベトナム戦争の時代、景気が良かったことや、方言札があったこと(世代にもよる)など。
南部ではエイサーはなかったと。昔はあったものの、当時はなく、最近復活したこと。
本土へ渡った当初は、電車の乗り方が分からず戸惑い、地下街も初めて、
ビル群にも圧倒された。大阪弁が分からず、聞き取れなかった。
やがて仕事や環境にも慣れ、楽しかった。

本土就職が決まった中卒者を対象とした3泊4日の合宿研修の様子も紹介しており、
規律正しい生活や言葉づかいを身に付けることなどを目的とし、
実務として手紙・電報の書き方なども学習。
さらに、日本の人に沖縄を知ってもらうべく、民謡や琉球舞踊のけいこもあった。
沖縄代表として恥ずかしくない行動を取ることも強調された。

400ページを軽く超える大書なので、すべて紹介することはできませんが、
非常に興味深い内容でした。文中に私の大学時代の指導教官の名前が出てきたことは
新鮮な驚きでした。参考文献として出てきて、そう、急に思い出しました。
指導教官は東南アジアの地域研究の分野を教えていましたが、
沖縄もフィールドだったんですよね。急に思い出しました。
授業で沖縄のことも出てきました。確かに。

近年では、本土就職の逆が主流、つまり、本土から沖縄へ移住して、
沖縄で仕事する、あるいは、店や事業を始める、その流れが加速しています。
もっとも、沖縄から本土へ渡って働いたり学生になったりする人も相変わらずそれなりにいると思われますが、
それよりも沖縄への移住者の顔がよく見えるようになっています。
実際のところはよく分かりません。

移住とか移民とか、以前から興味あるテーマなので、
機会あるごとに研究というほどのものではないですが、進めたいと思っています。

<前回、HRCネタに追記しました。ご確認ください。>

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