発見記録

フランスの歴史と文学

マンディアルグとエルンスト

2005-12-29 21:24:33 | インポート

図 マックス・エルンスト『蛙の歌』Le chant de la grenouille1957

写真 Lee Miller Max Ernst and His Cabagges,1955

Troisième Belvédère 収録の?C’est assez beau comme ça?(1960)でマンディアルグは50年代からのエルンストの変貌に目を向ける。

?…si l’art de Max Ernst, comme la poésie de Baudelaire, a toujours exprimé un immense amour de la nature, toujours aussi, tout comme cette poésie encore, il cède à la tentation de se révoloter contre la nature maternelle et de célébrer l’artificiel ou de s’en inspirer.?

(エルンストの芸術がボードレールの詩のように、つねに自然への無限の愛を表現してきたとしても、やはりこの詩と同様、それはつねに母なる自然に叛逆し、人工を讃え人工に霊感を求める誘惑に抗えない)

エルンストの絵画は時にはこの両極性に引き裂かれ、その美は暗く悲劇的で「『痙攣(けいれん)的』な美」la ?beauté convulsive?となった。しかしこの10年の間に「いわば気候が穏やかになった」(?on dirait que le climat s’est tempéré.?

1952年パリに新しいアトリエを買い、58年からはシノンに近いユイムHuismesの村に住む。これらの事実に注目しながらも、マンディアルグは一部の批評家が作風の変化をもっぱらトゥーレーヌ地方の気候に結びつけたり、ロンサールやデュ・ベレーの詩を引き合いに出すのに我慢できない。

「マックス・エルンストの精神、その火、空気、流体、内部の結晶は、昔も今もプレイヤード派の詩想と似通ったことはなく、私の感じるところ詩的強度は彼らを凌ぐ」(L’esprit de Max Ernst, son feu, son air, son fluide ou son cristal intérieur, n’ont jamais, maintenant pas plus que naguère ou autrefois, eu rien de commun avec l’inspiration des hommes de la Pléiade, son intensité poétique est à mon sentiment supérieur à la leur.)

「プレイヤード派」とかの話になると、ただこうして書き写すことしかできない。ただマンディアルグらしさは出ている。環境に左右されない内的過程への注視、詩と美術を区別しない、ボードレールやモーリス・セーヴ、ブルトン(エルンストの「黒いユーモア」を語るときは『ユビュ王』のジャリ)のような特定の詩人・作家に絶えず言及する。

50年代以降の作には複製さえ見たことのないものが多く、ならばとネットでも思ったほど成果がない。

Max Ernst, Olga’s Gallery  http://abcgallery.com/E/ernst/ernst-4.html

Giornale Nuovo: Max Ernst’s Blues http://www.spamula.net/blog/2004/10/max_ernsts_blues.html

「アポロ的」なキュビスムの画家よりは未来派。フランドル派のような「近眼」の芸術、個々の事物を丹念に描くリアリズムは×。芸術は宇宙=普遍 を志向すべし。ただ「普遍的」universelと「大きい」spacieuxとは異なる。クロード・ロランの画面が見る者を失われた起源の光へと誘うとしても、この静かな世界には力動性が欠けている。光のやってくる源へ近づこうとしないクロード・ロランは「老眼」の画家である。マンディアルグは美術史に残る名画にも手厳しい。

巻頭の?L’art moderne?1968)では次のような対比がある、ダンテやラブレー、モーリス・セーヴのようなルネサンスの文人とマラルメやジョイスらとの間に断絶はない。造形芸術と音楽では一つの「革命」が起きた。セザンヌやロダンさえ現代作家とは別の惑星で仕事をしたように見える。

マンディアルグはタングステン結晶の顕微鏡写真と、エルンストたち現代作家の作品のあるものの類似に気づく。

またエルンストの連作「看板」Enseignesから、自然の石の表面や断面に現れる宇宙や風景に似たイメージを連想する。さらに仮面を描いた作からは昆虫の擬態を。これら「自然の驚異」への興味は『幻想のさなかに』『石が書く』のカイヨワと共通する。

ストリンドベリが1894年に記したことばに、マンディアルグは予言的意味を見る。

?L’art à venir (qui passera comme tout le reste) : imiter la nature à peu près, mais surtout imiter la maniére de créer de la nature.?

(来るべき芸術(これもまた乗り越えられていくだろう)―自然を凡(おおよ)そ模倣すること、だがとりわけ自然が創造するやり方を模倣すること)