発見記録

フランスの歴史と文学

シムノンとヨーロッパ

2005-12-15 10:54:53 | インポート
サイト更新 ジョルジュ・シムノンの時間

しばらく寝かせてありましたが年の終わりも近いし、現時点ではこれ以上書けません。

引用の場所がなく割愛したのがG.-H.デュモン『ベルギー史』(村上直久訳 文庫クセジュ)の
かくも多くの軍隊が次々に通り過ぎ、荒らして行くのを目のあたりにして、ベルギー人の間には中立へのあこがれという政治的な受け身の姿勢が生まれてきた。「征服者はどうでもいいが、われわれを平和な状態にうっちゃっておいてくれ!
(宗教戦争時代を叙述した第五章「欧州の戦場」から)
1999年から毎夏ヴァンデのLes Sables d'Olonneで行なわれるle Festival Simenon05年のテーマは「シムノンとヨーロッパ」でした。
どんな話が出たのかまでわかりませんが。

祖先はポルトガルのユダヤ人、トルコのイスタンブールで生まれ育った男が地中海の船上でベルギーの踊り子と出会い、ブリュッセルで殺人を犯し彼女の家にかくまわれ、そこにはヴィルナ(現リトアニアの首都ヴィリニュス、マリー・トランティニアンはここで撮影中亡くなった)生まれのユダヤ人学生が下宿している。(『下宿人』) これがシムノンの世界だ。

Pedigreeもシムノン自身はゲーテの自伝『詩と真実』に比べている。第二次大戦中にはドイツ語の個人教授を受けた。(『詩と真実』をちょっと覗くぐらいはするべきだったと思う)
シムノンが「古典を頓珍漢に引用すれば笑われそうです」(J'aurais peur du ridicule en citant les classiques de travers.)と遠慮がちながら、ジッドをヴォルテール、ゲーテと共に「ある種の精神の族長」une sorte de patriarche d'espritの系譜に位置づけている手紙(1950年11月23日)の裏面に、ジッドは冷然とSans importance(重要ではない)と記す。

LePoint.frのGeorges Simenon Lettres contre ma mère (Michel Schneider)に引かれたシムノンのことば? Tout est vrai, sans que rien soit exact ?(すべては真実だ、なにも正確ではないけれど)は、『詩と真実』が頭にあるのかも。
シュネーデルの書評はシムノン『母への手紙』 Lettre à ma mèreの再刊に際して書かれた。辛い幼年期から逃れるため自伝=フィクションを繰り返し書かずにいられないシムノン。
Etre écrivain, c'était pour lui se faire ? redresseur de destinées ?, une sorte de ? Maigret médecin ?, de ? psychanalyste ?, confie-t-il (? Quand j'étais vieux ?).
作家であるとは自分にとって「運命を正す人」、一種の「医師メグレ」、「精神分析家」となることだった、彼はそう打ち明けている(日記『私が老人だった時』)
坂本浩也氏は【フランス・ミステリ通信②】「メスプレード事典」 をめぐって( 「本棚の中の骸骨」藤原編集室通信)で日本の「新本格派」作家がフランスの新しいミステリに期待するものと、現実のフランスの状況とのずれを指摘されていた。
やや冷淡に思える日本の出版界の動向にはおかまいなく、シムノンは読まれ続けて行くだろう。