海鳴記

歴史一般

西南戦争史料・『(薩軍)破竹・雷撃本営 雑誌』とは (1)

2010-04-05 10:58:51 | 歴史
         『破竹・雷撃本営 雑誌』とは
              (1)
 私は、前回の『西南之役異聞』で、この史料を一つの手がかりとして、「大河平事件」を物語ってきた。そしてその中で、私の店の常連さんからこの史料の存在を教わったことも記している。
 ところで、この史料が翻刻され、活字化されたのはごくごく最近のことなのである。平成17年(2005)の『鹿児島民俗』(鹿児島民俗学会編―127号)の中で初めて公にされた資料なのだから。
 まあ、『鹿児島歴史』(正確な書名は忘れたが、地元の歴史研究者の論文を集めた紀要のようなものはある)ではなく、『鹿児島民俗』に収められているのが奇妙といえば奇妙だが、その理由はのちに述べる。問題は、どのような経路でこの史料が明るみに出てくるようになったのか、また、私の『西南之役異聞』で取り上げなかった、他の事実も含めて紹介しようと思う。
 
 『鹿児島民俗』に収められた『(薩軍)破竹・雷撃本営 雑誌』の前書には、「旧薩摩藩・士風を訪ねる会代表」という肩書きの金子鐵雄氏が、国会図書館の古典籍貴重本の中から発見したように書かれている。「ように」というのは、どうも今一つ主語がはっきりしないからだが、ともかく、すでに「マイクロフィルム」化されているその史料を複写し、おそらく知り合いの法政大学経済学部講師である岩崎清美氏に解読してもらった。そして、それを所崎平氏という串木野古文書会の鹿児島の知人に、人名、地名、薩摩方言等を訂正してもらったところ、所崎氏から、この資料を郷里である鹿児島で発表するよう「推挙」があったので、そうしてもらったようなのだ。
 どうも、金子氏と所崎氏の関係も今一つわかりにくいが、また、所崎氏が串木野(くしきの)古文書会に属していながら、なぜ『鹿児島歴史』ではなく、『鹿児島民俗』に掲載するようになったのか、その辺の経緯もよくわからない。
 ただ所崎平氏をネット検索すると、『かごしま食暦』という著書がヒットした。そこから推測すれば、歴史研究者というより民俗研究者であり、だからこそ、おそらく氏の論文の発表場所である『鹿児島民俗』に、『(薩軍)破竹・雷撃本営 雑誌』を掲載したということだろう。何も民俗研究者が古文書を勉強してはいけないわけでもないだろうし。


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