海鳴記

歴史一般

西南戦争史料・拾遺(72)

2010-09-06 08:08:26 | 歴史
 私は、これは個人やグループが探求するしかないと思う。たとえば、私のブログを毎回熱心に読み、かつ共鳴し、鹿児島の歴史を憂える鹿児島人が探求するしかないのである。
 これは今ふっと思いついたことであるが、個人としては、谷山で「リゼット」という古書店を経営している安井氏などは、「生の」史料を入手しやすいという点で最適人者だろう。 だが、これは冗談ということにしておこう。これで家産を傾けたとあれば、私の責任になるし、私の歴史の勉強のための資料提供などでお世話になった人へ、いわば恩をアダで返すことになるからだ。年配者の間には、いまだに西南戦争に関して頑なな人もおり、かれらから嫌がらせさえ受け兼ねないのである。
 だから、誰か他に調べてみたいという人がいれば、それに協力してもらいたい、と願うだけにしよう。また安井氏に限らず、他の古本屋も協力しあえば、さらに新しい史料発掘も可能になるにちがいない。そして、これこそ古書店の存在意義であり、それが結果的に古本屋を潤し、また地域の歴史遺産も豊かにするのである。
 こういういい循環は、九州の他地域と比べてもあまりにも少なかった。それは、今まで何度も私が述べてきたように、「真実」を語れない状況下にあるからである。これを早く打破しなければ、鹿児島の古本屋の未来も、いや鹿児島の歴史の「未来」も来ないのである。

 平成7年版『姶良町郷土誌』の話が、また脱線し、いつもの大風呂敷を広げてしまったが、これが最後なのでお許し願いたい。
 また、そこに戻ろう。この郷土史の最後に、「戦後熊本を訪ねた従軍者たち」という項目があった。「西南戦争が終わって46年後の大正12年5月、かつて帖佐から従軍した人たちが熊本の戦場跡を訪ね、戦没者の霊を慰めて往時をしのんだ」とあり、これが、5月13日付の熊本日日新聞で報道され、そのときの集合写真を掲げて締めくくっている。



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