海鳴記

歴史一般

奈良原喜左衛門に子供はいたのか(23)

2011-05-03 10:05:01 | 歴史
 現民法の「尊属または年長者は、これを養子とすることはできない」ということが、私には何の疑いもなく受け入れられていたので、これには驚かざるをえなかった。41歳の当主が60歳の男を養嗣子にするという、現在では考えられない「非常識」なことが、やはり存在した時代があったというのだから。
 ともかく、内務省の役人も、これは「穏当ではない」という結論に達したのに、なぜ太政官はそれを却下したのか、その理由を追ってみよう。
 多少長くなるが、山畠氏が注釈でその理由をのべているので、その部分を引用する。(ルビ、句読点は私がつけた)

その根拠として、左院議按(臨時御用取調主査)は、「元来年長ノ者ヲ以テ養子ト称シ候儀倫理ニ於テ穏当ナラズ候ヘ共、此等ノ儀ハ数百年来民間ノ慣習法トナリ来タリ候処モ有之。追々(おいおい)民法御改正ノ節ハ此等ノ条件ニ於テモ、屹度(きっと)御法制相立(あいたて)可申筈(申すべくはず)ニ候ヘ共、即今養子ノ名義ノミ突然御改革相成(あいなり)候共、万事夫(そ)レニ適当不致候テハ、却(かえっ)テ混雑ヲ生シ、人民ノ不便ヲ醸(かも)シ可申ニ付、已(やむ)ヲ得ス・・・・・」という理由をあげ、また按左院議(法制課主査)は、「本年四月長野県伺(うかがい)ノ節本課ニ於テ異見有之。詳細申上候臨時御用取調掛ノ見込有之。其通御決裁相成候上ハ、縦令(たとい)十才ノ童子ヨリ七十才ノ老翁ヲ子トナストモ可ナル道理有之儀・・・・・」と開き直っている。

 山畠氏は、注釈でこう締めくくっている。しかしながら、数百年来の慣習法とはいえ、一応、倫理上穏当ではないけれども、と言っているのだから、41歳の当主が60歳の養嗣子をもらわなければならないもっと個別の理由があるように思われるのだが、ここにはそういう具体的なことは何も書かれていない。 
 ところが、前の注釈事項にその理由があった。どうも、この41歳の当主は、病気になって家の切り盛りができなくなったので隠居届けを出し、その代わりに、家を維持できる親戚の年長者を当主に据えたいと願い出たというわけのようである。なるほど、これなら理解できる。
 まあ、山畠氏は、現行法(旧法も)の「年長者養子の禁止」を当然と考えているのだろう。氏は、「10才の子供が70才のおじいちゃんを養子とすることも道理としてある」という太政官法制課主査の判断を開き直っていると結論づけているようだが、「家」を存続させるという観点に立てば、さほど荒唐無稽な判断とはいえないようにも思われる。