もちろん、この「成功」が具体的に何を意味しているかわからないが、町田氏は、姉小路暗殺のことだ、と一歩踏み込んでいる。なぜなら、5月28日、朝廷から「滋野井侍従西四辻大夫不容易風聞有之御調中禁足被仰出之旨」という言い渡しがあり、「不容易風聞(よういならざるふうぶん)」が何を指すかわからないにしても、姉小路暗殺を意識した禁足であったと窺われるからだ、と。
かれら二人がいつもどったかはっきりしないが、このことにより、6月5日、朝廷からの尋問に対し、二人は回答を提出している。それによれば、二人とも攘夷実行が思うにまかせず、宸襟を悩ませているので、吉野山の後醍醐天皇参拝と称して親征祈願のため出奔した。それも叶わなかったが、民衆の協力を得て攘夷の実をあげるつもりだなどと言明している。
これらを町田氏は、かれらの出奔時の行動および背景をこれによって一概に信じることはできず、事件のアリバイづくりのような感は否定できない、と結論づけている。
要するに町田氏は、勝との親密な交渉によって「即今破約攘夷派」から「攘夷実行慎重派」に変節した姉小路を、それがまだあまり知られないうち、つまり「即今破約攘夷派」の勢力がなし崩しにされる前に、姉小路を亡き者にする必要があったと言っているのだ。そのため、滋野井と西四辻という身分の低い公家を黒幕にし、かれらが田中新兵衛を「巻き込んで」の犯行になったのだ、と。さらに、「攘夷実行慎重派」に罪をきせるため、三条実美邸および学習院門扉に「・・・姉小路ト同腹ニテ、公武御一和ヲ名トシテ実ハ天下ノ争乱ヲ好候者ニ付」天誅を加えたと張り紙したのは、併せて、通商条約容認派に変節しそうな三条へのプレッシャーでもあった、と。
ところで、やや唐突に黒幕たちが田中新兵衛を「巻き込んで」とあるが、田中と黒幕たちの関係の具体的詳細は一切ない。他のことは、詳細にまた繰り返し論じているのに。
かれら二人がいつもどったかはっきりしないが、このことにより、6月5日、朝廷からの尋問に対し、二人は回答を提出している。それによれば、二人とも攘夷実行が思うにまかせず、宸襟を悩ませているので、吉野山の後醍醐天皇参拝と称して親征祈願のため出奔した。それも叶わなかったが、民衆の協力を得て攘夷の実をあげるつもりだなどと言明している。
これらを町田氏は、かれらの出奔時の行動および背景をこれによって一概に信じることはできず、事件のアリバイづくりのような感は否定できない、と結論づけている。
要するに町田氏は、勝との親密な交渉によって「即今破約攘夷派」から「攘夷実行慎重派」に変節した姉小路を、それがまだあまり知られないうち、つまり「即今破約攘夷派」の勢力がなし崩しにされる前に、姉小路を亡き者にする必要があったと言っているのだ。そのため、滋野井と西四辻という身分の低い公家を黒幕にし、かれらが田中新兵衛を「巻き込んで」の犯行になったのだ、と。さらに、「攘夷実行慎重派」に罪をきせるため、三条実美邸および学習院門扉に「・・・姉小路ト同腹ニテ、公武御一和ヲ名トシテ実ハ天下ノ争乱ヲ好候者ニ付」天誅を加えたと張り紙したのは、併せて、通商条約容認派に変節しそうな三条へのプレッシャーでもあった、と。
ところで、やや唐突に黒幕たちが田中新兵衛を「巻き込んで」とあるが、田中と黒幕たちの関係の具体的詳細は一切ない。他のことは、詳細にまた繰り返し論じているのに。