毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中国から悲痛なメールが届いた」No.3776

2020-02-05 19:56:18 | 中日(日中)交流

↑春節に北京から連れ合いを連れて故郷の宜春に戻り、家族と記念撮影の周文毓さん。南ア出身の連れ合いに美しい故郷を案内したかったでしょうに、それもままなりませんでした。

 

江西財経大学時代の教え子、周文毓さんは春節で職場のある北京から

故郷の江西省宜春市に戻っています。

北京でも新型肺炎の猛威は衰えを知らず、いつ北京に戻れるか分からないので

春節休み明けはおそらく在宅で仕事をすることになるだろうとのこと。

下は、この忌まわしい疫病について

彼女が見聞きし、考えたことです。

ーーーーーーーーーーーー

先生

今日で武漢が封じられてからもう2週間経ちました。

とうとう昨日、私がいる小さな町にも、感染者が一例確認され、

この小さな町で大きなパニックを起こしました。

その人は、武漢から帰ってきたことを隠していました。

確認されるまで全然引き込もらず、町中をうろうろして、

親戚の家を訪ねて、知り合いと食べて、酒を飲んで、

2週間もマージャンをしていました。

その馬鹿野郎のせいで、その人がいる村の人が全部隔離されて、

親戚も隔離され、町の委員会はまだその人と接触がある人を探しています。

うちの住宅団地も封鎖されています。

食物が切れ、買い物しなければならない時は、

一家で1人だけ体温を測定されてから出られます。

帰ってきた時も体温を測定するのです。

ムカつくのは、この疫病は天災ではなく、人災なんです。

食べてはいけない野生動物を食べた愚か者、

自分は感染されてないと思って疫病区から帰ってきたことを隠した愚か者、

感染しているのに検査を誤魔化すため解熱剤を飲んで武漢から逃げた愚か者、

そういう愚か者たちが疫病を全国に広めたんです。

しかも、12月中旬には武漢の疫病は既にとても深刻だったのに、

武漢政府はそれを隠していました。

私たちは1月20日初めて疫病のことを知りました。

その時、春節の帰郷運輸はとっくに始まっていました。

だからこんなに深刻になったんです。

 海外のたくさんの国は中国に関心をもって、中国人に同情して、

もちろん、中国人を差別する人もたくさんいます。

正直に言って、差別されても自業自得なんだと思います。

でも、少数の愚か者が悪いことをして、

なんで多数の普通の優しい民衆がその罰を受けなければなりませんか。

そう思うと心が痛みます。

ピークはこの2、3日だと思います。

全国一緒に戦っているから、きっと病気に勝ちます。

ただ、今回、中国人は本当に教訓をくみ取るように!

そうだ、今回私は連れ合いを故郷に連れて戻りました。

20日は初めて疫病のことを知って、翌21日は帰郷、

それからいきなり事態が深刻になって、ほとんど家に引きこもり(泣)。

そして27日、連れ合いが南アフリカに帰りました。

私とおじさんが運転して彼を空港まで送る時、

道路はもう封じられていました。

往来の車にいる人は必ず体温を測定してから通されます。

彼は今南アフリカにいて、私はまだ故郷にいます。

彼を空港まで送って以来、1度も家を出ていません。

昨日、北京の会社から連絡がありましたが北京の疫病はまだ深刻なので、

多分正月が終わったら在宅ワークになります。

先生は日本にいても必ず気をつけてくださいね。

できるだけ中国に帰るのを遅らせてください!

この疫病は潜伏期が長いから、健康そうな人も感染者である可能性があります。

では、また。

本当に早く収まりますように!!

連れ合いと祖父母、また他の一部の家族メンバーの写真を添付します(*゚▽゚)ノ

(両親は写真にいません。)

ーー中央で腕抜きをしているのが周文毓さん。右隣がお連れ合い。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ラジオ中継で首相、久兵衛... | トップ | 「コロナウイルス震源地武漢... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

中日(日中)交流」カテゴリの最新記事