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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

大阪に行ってきた:ガザ緊急アクション関西10.28

2023-10-31 13:44:08 | 反戦平和

コロナが勃発してから初めて大阪市に入った。

2020年1月末、まだ日本国内でコロナ騒ぎが本格化していないとき、

大阪市内から兵庫県尼崎市に引っ越して以来だ。

大阪の友人がラインでチラシを送ってきたので、

取るものとりあえず駆けつけたのだった。

以前何度も行ったことのある中の島公園に1時間以上前に着いた。

4年近く引き籠もっていたので、

移動距離に費やす時間の感覚を喪失してしまい、

これまでの人生では時間ギリギリ人間だった自分としては

かなり異例のことだった。

地下鉄淀屋橋駅から外に出ると、平和だった。天気もよかった。

⤴堂島川の左側が中之島公園。

こんなところで働いていたら生活感覚が「土着」の反対になっていくのだろう。

 

30分ほどの集会時、アラブ人の男性が流暢な日本語でアピールした中で、

もう連絡が取れなくなったガザの友人からの最後のメッセージを紹介した。

「苦しく悲惨な死を迎えただろうと思わないでください。

私たちは、アッラーの神のもと、穏やかで明るいところに行くのですから。」

読み上げながら、男性は声を詰まらせた。

私はただ立っているしかなかった。

19世紀から20世紀は、帝国主義間戦争の時代だったが、

第二次世界大戦以後、世界の国々は反省して

もうちょっとマシな関係を築くよう気を付けてきたかと勘違いしていた。

しかし、21世紀になったとて、

帝国主義の「強いものが好き放題していいのさ」的発想は

国連常任理事国を中心に揺るぎなく存在していることが

この間骨身に染みて分かった。

加えて、ユダヤ教の選民思想を価値観の基礎とするイスラエル国家なら

パレスチナ人を「人間に見える動物」と見做すことも当然なのだろう。

それでも、ホロコーストの悲惨に遭った民族が、

自らホロコーストをやってのけることに何の矛盾も感じないのだろうか。

イスラエルの人々は一般的に、知的で思慮深いと誰かが言っていたが、

そういう人々がネタニヤフ政権を選んでいることの不可思議さ。

・・・・・・・・・

短い集会の後、アメリカ領事館前を経てJR大阪駅前までデモをした。

300~400人ぐらい参加していただろうか(主催者は600人と発表)。

⤴大阪には、デモでもパレードでも阪神ファンがいて私は違和感を覚える。

巨人が好きだとかいうことではない(事実、好きじゃないし)。

大阪なら阪神タイガース好きに決まっているというその感覚がイラつくのだ。

ま、それはともかく、

この日は沿道の人々の様子が冷たくないというか、

(ガザも気の毒だよね)みたいな雰囲気を感じた。

デモの人々に嫌な顔をしたり、「チッ!」とか舌打ちする人は皆無で、

途中、高校生らしき何人かの子たちが拍手してくれた。

しかし、一緒に歩こうという人は少しはいたかも知れないが、

私は気が付かなかった。

世界世論の形成まで、日本は、日本人はまだまだだ。

 

⤴デモ後、大阪駅北口前での集会で複数のアラブ人が

「日本はヒロシマ・ナガサキの悲惨な経験があるので、

分かってくれると信じる。

今、悲惨な目に遭っているパレスチナ人を他人事と思わないで。」

とアピールされたが、果たして日本人の何人が

自分たちの国の「ヒロシマ・ナガサキ経験」を身近に感じているだろうか。

⤴最後に一人プラカードを持って立つ姿を写真に収め、

腰やひざが痛くなった友人たちと私は集会を後にそれぞれ帰途についた。

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