毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「時には言葉がコタエルことも」 2013年5月25日(土)No.660

2013-05-25 22:31:34 | 中国事情
作文コンクールの締切が1週間後に迫っている。
まだ、添削は続いているが、できるところまでしかできない。
この期に及んでまだ提出しない学生もいるのは、ちょっとオドロキだ。
曲がりなりにも、日本語を学んで2年、3年経とうという時期に
日本語で作文のひとつも書けないでドースル。
おそらく、該当者たちは中国語で書けと言われても嫌に違いない。
作文は書けば書くほど、好きになると思うのだが、
小学校から高校まで、作文は散々書かされてきたと言うわりに
作文好きな学生は多くない。
中国の作文教育は、以前、ちょっと書いたことがあるが
お手本を写すことからスタートすること、
いわゆる美文であること(修飾が多すぎて、大げさだと日本的には感じる)、
といったことが重視され、自分の考え、気持ち、自分だけの気づきなどは
あまり指導されなかったと多くの学生が言うのを事実だとすると、
なんかね~。

それでも、四苦八苦して書いてあるのを読むと、
時には感動の涙が溢れ、
時にはグサッと胸に刺さる言葉もある。
例えば「中国人にとって、日本人は天敵です」とか。
例えば「日本について何も思っていない人ですら、『日本』と聞くと、
一瞬行動がストップする」とか。
もちろん、書いた学生に何か不服を感じるのでは決してない。
(中国人にとって、日本とは、そこまで特別なのか)
と、コスモポリタン的我が浅薄さを情けなく思うのだ。

そういう作文が続くと、さすがに心がちょっぴり弱ってくる。
今日はそういう日だった。
で、Aaron Nevilleの「Jesus Loves Me」を聴いた。
Jesusが誰であるか、モワッとして鮮明ではない。
しかし、「loves me」のところが重要なのである。
誰か(大きい存在)が私を愛している
私はこの世に愛されている
こういう言葉は、「お天道様はご存知だ」と同様に
何とか自分を持ちこたえさせる時のおまじないになる。
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