毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「菏澤学院4年生、夏休みの受難」No.2689

2018-09-23 14:42:09 | 中国事情

カタバミの群生する向こう側は工事中の学生寮です。昨年6月に解体が終わり、

その後は延々と建設工事が続いています。一体、何年後に完成するのやら……。


明日24日は中秋節休みとあって、久しぶりに2日間休めます。

(ここんとこ土曜日はスピーチ練習を入れているので休みなし!)

ようやく、

4年生の作文「夏休みの出来事」に全部目を通し、添削しました。

今夏、大学院を受験する学生達は大学に残って勉強すると言っていたのですが、

蓋を開けてみると、休み中ずっと学校に残っていたのはたったの3人、

あとはみんな結局故郷の家に戻ったのでした。

こういうのんびりしているところが、まさに菏澤学院です(笑)。

しかし、家に帰った学生も平穏だったわけではなかった実態を書き綴っています。

一番悲惨なのは遅芮さんのケースです。

ーー遅芮(ち・ぜい)ーー

夏休みに、私はしばらく家に帰りました。

その時、7歳の甥が私の家に来ました。

甥は翌日から学校が始まるので、一日だけ泊まったのです。

(私達は半年ぐらい会わなかったんだから、ちゃんと世話をしよう)

と私は決意しました。

午前中、甥と一緒に絵を描いたり、ゲームをしたり、楽しんで過ごしました。

昼ご飯を食べる時、どんなに勧めても

甥はご飯を食べずにずっと外で遊んでいました。

(でも、昼前にクッキーを食べたから大丈夫だ)と思って放っておきました。

午後2時頃、甥が餃子を食べたいと言ったので、

私とは母は急いで餃子を作り始めました。

ようやく餃子が出来た後、甥は少ししか食べずに、また遊んでいました。

午後3時頃、私の幼馴染が遊びに来ました。

甥が私たちの話の中の「パンマシン」と言うのを聞いて、

「パンが食べたい」と言いました。

「今、家にないけれど、少し我慢したら夕方、買ってあげるよ。」

と言うのを聞いて、甥は泣き始めましたが、

全力で慰めたらようやく泣き止みました。

しばらく静かにしていましたが、

今度はまた、遠くに住むお祖母さんの家に行きたいと言い始めました。

私はできるだけちゃんと説明しましたが、彼は再び泣き始めました。

他にもその日の午後、どんな原因かもう忘れましたが、

彼が何度も泣いたことだけは覚えています。

甥はちょっと私に叱られると、逆に私を殴り、もっと大きい声で泣きました。

夕方、甥の親が迎えに来ました。

甥は親に、

「おばさんは棒で僕を殴ったよ!」と嘘をつきました。

その時私は本当に腹が立ちましたが、笑って、

「いいえ、棒ではなくて石で殴ったんだよ。もう忘れたの?」

と返事しました。

私の母は怒りっぽい人ですが、他所の家の子どもだから、

悪戯をしても我慢して、我慢して、のぼせてしまい、

口腔が炎症を起こして水ぶくれができてしまいました。

子どもは悪魔です!

ーーーーーーーーー

わがままな子どもは、中国にも日本にもいるものですね。

こういう子を見ると心中、つい、

(親はどういう躾けをしているんだろう?)と思ってしまいます。

自分の子の時は、

「いや~、親はちゃんと躾けてんねんけど、本人が自主的に悪いから~。」

と言い訳していたのですがね(笑)。

ーー劉樹慧(りゅう・じゅけい)ーー

あっという間に終わったこの夏休みは、私にとってちょっと辛かったです。

と言うのは、学校に残ってクラスメートと一緒に

楽しく勉強するつもりだったんですが、

連日の高温で、私は汗疹がいっぱい出来てとても痒くなってしまったんです。

八月になって、豪雨のおかげで少し涼しくなりました。

汗疹もようやく良くなりました。


八月中旬、家に帰りましたが、威海市に着く日、不運に遭遇しました。

前夜の列車のエアコンが強すぎてお腹が痛くなったのです。

帰るバスで急にトイレに行きたくなってしまいました。

我慢できなかったので、バスを降りてトイレを探しに行きました。

しかし、どこにも見当たりませんでした。

仕方がないので、あるレストランに駆け込んで、トイレを使いました。

次のバスで家に帰り、お湯を飲むと胃が温かくなって、痛くなくなりました。

ーーーーーーーーー

今年の夏は、大阪ほどではないにしても、菏澤も連日猛暑が続きました。

私は大阪の家で毎日ネットで、

大阪の気温と菏澤の気温を比較していましたが、

双方同じか、もしくは2、3℃大阪の方が高温だという印象でした。

しかし、学生達にとって、効きの悪いエアコンしかない図書館で

朝から晩まで勉強するのは大変だったろうと思います。

汗疹のことは劉樹慧さんだけでなく、他の子も書いていました。

大学院の一次試験は12月23日・24日だと言われています。

(まだ公式発表じゃないところが中国らしい)。

のんびりおっとりしているこの菏澤学院の4年生たちが

残りの日々にどれほど根性を発揮するか、

もはや見守ることしかできません。

ーー陸恵敏(りく・けいびん)ーー

夏休み、私は学校に残りました。

7月の下旬、気温が上がって、毎日38℃になりました。

ある日、遂に40℃になりました。

図書館の自習室は一日中太陽に照らされていて、

エアコンはありますが全然役に立ちませんでした。

そんなに暑いにも拘らず、図書館には勉強している学生がいっぱいいました。

みんな、これは大変だと思いました。


夏休みに、もう一つのことがありました。

夏休みの間、残った学生は全員、

12番と14番のビルに引っ越さなければなりません。

新学期が始まる前に、みんな元の自分の寮に戻りました。

寮の部屋にまだ誰もいなかった私は、

自分の布団や荷物を自分の寮の第4ビルに運びました。

しかし、その時どうしても寮の部屋のドアが開きませんでした。

寮の管理人さんを探して手伝ってもらいましたが、まだ開けません。

管理人はドアの修理業者に電話をかけて、

「早く来てください。学生が、今一人で待っているんです。」

と言ってくれました。

これを聞いて私はとても感動しました。

ーーーーーーーーー

休暇中は管理上の理由で多くの寮が閉鎖されます。

学生あってこその大学だと思うのですが、

ここ菏澤学院では、

学生は我慢を強いられることが非常に多いのです。

4年生にはもはや自習室も与えられておらず、残る場所は図書館のみ。

日本の大学の図書館に比べて、

ここの大学の図書館はいつも実に混み合っています。







 



 

 

 

 

 

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