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日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「中国の終末医療:学生たちに看取り体験を語ってもらった」No.2417

2019-09-11 23:36:59 | 日本中国比較

↑新一年生は軍事訓練用のユニフォームを着ているので

すぐに見分けがつきます。

この訓練後、この服を(もったいないからしばらく着よう)

と思う学生は誰一人いません。

「パジャマにしたらいいんじゃないの?」と聞くと、

「化繊だから汗を吸い取らなくて蒸れるし、絶対に着たくないです」

と言います。

しかし、ときどき現場作業員のおじさんや年配の人が、

古着で二束三文で売られているこの服を買って着用しているのですが、

学生たちはそれを全く意に介さない様子で通るのが

内心チクッと感じます。

基本、ここの大学生の半数はお坊ちゃま君、お嬢ちゃまたちです。

ーーー

3年生の授業で、北海道のSTVテレビ(HTVだったかも)の

シリーズ番組「老いるショック」のうち、

家で死を迎えるための在宅医療を推進している動画を見ました。

日本の病院医師のように患者の家まで訪問診察に出向くことは

今も中国では(少なくとも学生たちの故郷では)全くなく、

昔ながらの医師資格を持たない「村のお医者さん」が緊急の場合、

診察に来てくれているそうです。

では中国ではどのように人々は死を迎えるのか、

具体的に自分の家族や身近な人が

病院で亡くなったか、家で亡くなったか、

見たこと・体験したことを発表をしてもらいました。

実は、中国では「死」に関する話題を日本以上に避けます。

「終活」などを冷静に語る日本人に驚きの気持ちを抱くと

ある学生が言っていたことがあります。

私は高齢化社会ー終末医療の問題は避けて通れないという理由で、

皆にさらっと語ってもらおうと思ったのですが、

なかなかそうはいきませんでした。


「4年前、祖母は家で胃がんで……(しばらく絶句し、泣く)

皆で、祖母の周りを囲んで、祖母は幸せだったと思います」(女子学生)

「一昨日、隣の家のおばあさんが亡くなったことを

親から電話で聞きました。」(ここまで話した時点で涙ぐむ女子学生)、

泣きこそしなかったものの、

「祖父を病院に見舞って一週間後、父に『お祖父さんが亡くなった』と

知らされ、とても……(絶句)。祖父は、病院が嫌でした。

早く家に帰りたいと言っていました。」(本当に悲しそうに話す男子学生)、

 

このように、学生たちにとって親しい人の死は、

何年経っても口に出すと冷静ではいられないほど悲しいということが

よく分かりました。

特に中国の多くの学生たちは祖父母を非常に、非常に、慕っています。

幼少の頃、親が忙しく働いている間、

祖父母に育てられた子も多いのです。

 

身内が家と病院と、どちらで亡くなったかを聞いたところ、

病院で亡くなった人と家で亡くなった人はほぼ同じ人数でした。

しかし、家で亡くなった人の場合、病院の医師に

「もうすぐ亡くなるでしょう。病院でできることは何もありません。

家で最期を迎えますか。入院していたらお金もかかるし。」

と言われて家に連れて帰り、

その日の晩とか、数日以内とかに亡くなったケースが複数ありました。

それは日本の医療関係者が目指す「在宅終末医療」とは程遠いものです。

家に連れて帰ったものの、

本人は食べることもできなくて骨と皮にやせ衰え、

苦しみぬいて死に逝く祖父は見るに耐えず、

家族は会話もなく、暗く苦しい看取りだったという体験もありました。

家で死ぬと言っても痛みを伴う病気の場合、

医療ケアがなければ本人も家族にとっても地獄です。

 

お金によって病院の治療内容や待遇が全く違うこの国で、

(日本はどうでしょう?)

庶民が在宅で終末を迎えるという意味は、

医療抜きで家で亡くなるということのようです。

(村のお医者さんは別として)

それでも、ある女子学生はこう言いました。

「祖母はまだ健在です。ある時、ふと祖母がこう言いました。

『病院は嫌いだ。慣れた自分の場所で死にたい』と。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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