↑琉球新報の記事から写真をお借りしました。沖縄 きょう戦後78年の「慰霊の日」 時代の曲がり角、平和の願い一層強く - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト (ryukyushimpo.jp)
私はもう先がそんなに長くないのを確信しています。
生まれてきて、生きて、暮らして、死ぬ人間の一人として
どう生を全うするかが関心の中心にあるのですが、
まあ、そんなにオシャレに締めくくることもなく、
普段通りに終えたいものだと願っています。
自分で自分の人生を締めくくれることは
取りも直さず、なかなかいいことです。
それを思うと、そうできなかった人々のこと、
歩む道を自分で選択し、がんばったり、泣いたり、笑ったりして
生きる時間、行程を十分に味わえなかった人のことを
残念に思わざるを得ません。
自然災害はそれでもまだ(仕方ない)と諦めるしかないかも知れません。
しかし、政府が始めた戦争で
戦わされて、殺させられて、しまいに殺された兵士たち、
巻き込まれた民間の人たち、子どもたちは
仕方ないじゃすまされないです。
怖かったろう、無念だったろうと思うと、どうしても胸が苦しくなります。
岸田総理が今日、沖縄戦没者慰霊式典に出席するそうです。
(時間的にもう、したでしょう)
あの首相が、
命をむしり取られた人たちのことを少しでも想像できるとは思えませんが、
そう言っては身も蓋もないので次のように首相に訴えます。
岸田首相、
少しでも国民をだいじに思う気持ちがあるなら、
陸上自衛隊石垣駐屯地の新設をはじめ南西諸島での防衛力強化は
沖縄県民はじめ国民の命を脅かす愚策ですから
やめてください。
戦争を準備することが戦争を抑止するとは
あり得ない頓馬な考えです。
岸田首相、
政策を決めるときには、
首相自身の命、首相の子どもや家族の命とまったく同じ命の価値を、
一人一人の国民が持っていることを
どうか想像してください。
(ていうか、これ書きながらむなし過ぎるんだけど)
明らかに誰が見ても今も沖縄は・・・・・
軍が国民を守らないことは、子どもの頃の経験ではっきり見ています。軍備は何の防衛にもなりません。
人の命の重みが分からない人たちが、国の中心にいることが、この国をダメにしているとしか思えません。
漱石作品を読むのに(どれも長編だから)時間を取られてブログにまで到達できず返事が遅くなりました。
日本の様子を見るに、もう国家の様相を呈していないなと思います。その国家とは、明治時代、日本人が欧米列強と肩を並べるべく、不十分ながらも藩を廃して県を置き、法律を作り、議会を開設して選挙制度を設置して立憲君主制の下、国民を団結させてきた国民国家です。
新自由主義は、国境を越えた利潤追求のために国民経済を破綻に追い込みました。国民は「日本人として一致団結する」ことなどとっくにできなくなっています。
今の日本は利益追求の階層に分かれて邁進しているのみだな、と感じています。
ではどうしたらいいんでしょう?
もう、一人一人の個人が自分の資質を生かして仲間とともに暮らせるように、仲間を見つけていくしかないのかなとも思います。
その仲間も国境を越えて見つけられるように、自分の資質を磨いていく必要があります。
なんか、まとまりませんが、漱石がこう言っているのを噛みしめて……。
「焦ってはいけません。頭を悪くしてはいけません。根気づくでおいでなさい。世の中は根気の前に頭を下げるのを知っていますか。うんうん死ぬまで押すのです。それだけです。」