お出かけ日和の昨日の南昌。
八一公園の日本語コーナーにもザックリ40人は来ていたかな。
財大生もコンスタントに何人も参加するようになった。
これも4年前と大いに変わった点で、とても嬉しいことだし、私も出かける張り合いがある。
来年30周年を迎えるこの青空日本語教室は、多くの人々が担い、次の世代へと
パスしてきたものだ。
さて、今日は、
今の南昌日本語コーナーをガッツリ支える「日語角三人男」を紹介しよう。
まずは、お馴染みの劉波さん。
昨年、世話役代表である丁勇先生が岡山に一年間出張していた間、
「まかしとけいっ!」と胸を叩き、あれこれ采配を振るい、
パーティーを何十回となく開催し、白酒(ばいちゅう)をいくら飲んでもびくともしない。
そういう人である。
以前も書いたけど、大分前、岐阜県のアパレル関係の工場で実習した経験があるが、
当時はただ黙々と長時間働き、会話技能を高める暇はなかった。
南昌に戻ってから博堅先生らの下で、生きた日本語を身につけてこられた人である。
貫禄あるけど、確かまだ30代だったはず。
丁勇先生。会話を聞いていてこの人ほど日本人か中国人か迷う人もいない。
発音、アクセントの滑らかさに加え、静かで洞察力と説得力のある語り口には、
思わず皆が頷いてしまう。
江西師範大学の教師であると同時に、長年、南昌の中日友好のために骨を折ってこられた。
尖閣問題によって3年間途切れている「江鈴杯日本語スピーチコンテスト」を
開催に導いたのも、丁勇先生である。
ちなみに「江鈴」とは「江西いすゞ自動車」のことだ。
スピーチコンテストのスポンサーは、この会社だったのである。
意外と知られていないので、ここで宣伝しておくね~
上の写真の真ん中、チェックのシャツの男性も江西いすゞの社員である。
さて、ポール左脇に立つ長身の男性は、
ここに通う誰もが知っている、江西科技師範大学の八木典夫先生だ。
1年半前の「尖閣国有化問題」をきっかけに火が付いた中国全土での反日デモの際は、
ここ南昌でも八一広場に何万人もの人々が集まり、たいへんだった。
私はその時、宿舎から出ないよう大学から言われ、
授業には日本語学科の中国人の先生方の護衛付きで、タクシーで通っていた。
そんなとき、市内日本語コーナーの存続の危機を危ぶんだ八木先生は、
自分が怪我をさせられないように細心の注意を払いながら、
ずっとこの八一公園に通い続けた。
(日本人が誰も来なくなったとき、この日本語コーナーは廃れる)
ただ、その思いでずっとやってこられたという。
今でも、他の誰が休んでも八木先生だけは、
すっくと立つ木のように皆を待っている。
一人ひとりの頑張りと踏ん張りが、これからもこの日語角の灯を燃やし続けるのだろう。
実は昨日八一公園に伺いちょっと覗いてみたのですが、思っていた以上に大勢の学生がいてびっくりしました。皆熱心そうでしたので、私も何か貢献できるのではないか、と思ったところです。
南昌にいらっしゃるんですか!神出鬼没ですね(笑)
もちろん勝手にグングン混ざってください。み~んな、勝手に混ざっている人ばっかりですので~。
基本、毎週土曜日午前9時半頃~12時(正午)までで、雨が降ったらほとんど来ません。私は、朝、家を出る時に降っていなかったら、予定通り行きます。
今週土曜日は清明節前なので、人数は減るかも知れませんが、よかったらのぞいてみてください。
お待ちしていま~す
5月に訪問予定ですのでその際は参加させていただきます。
学生が熱心に勉強している姿はよいですね。
半端じゃなく勉強する若者で溢れているのが、今の中国ですね。
中国の明日が明るいのは、この若者たちを見てたら分かります。
日本の若者たちにも、「学問のすゝめ」を読んで発奮してもらいたいですね。
では5月、八一公園日本語コーナーで会いましょう!