毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「仙台市長選野党共闘勝利・アベ支持率26%を西安で知りました」No.2014

2017-07-23 18:21:30 | 中国事情

今日は青海省西寧市から陝西省西安市に移動し、

いよいよこの旅行も最終段階を迎えました。

明日24日は兵馬俑を見学し、明後日25日上海経由で大阪に戻ります。

 

さっき、ネットで仙台市長選挙の結果、野党共闘の郡和子さんが当選したこと、

アベ政権の支持率が26%と、またまた下がったことを知りました。

いよいよ、共産・自由・社民・民主の野党がしっかりと団結し、

国民が(まだ日本にも未来がある)と安心できる政策を提示するための

共同作業に取り掛かってほしいと思います。

国民も政治家に丸投げするのではなく、

政治家はあくまでも自分たちの代表であり、

自分たちがどんな社会を作っていきたいかという大きな観点に立って

政治家を育てていく責任があります。

今のアベ政権の腐敗は、国民が政治家に何もかもお任せして、

のおこぼれを頂戴しようとしてきたセコイ考えの結果だと私は思います。

 

さて、旅行の話に戻りましょう。

昨日までの西北ツアーは当初上のような日程でしたが、

4日目と5日目の二日間を敦煌市で泊まり、

6日目は丹霞まで車を飛ばすことに変更しました。

そもそも、予定が変わったのは、

二日目宿泊予定の黒河川(日の出が美しいと評判)に向かう途中、

旅行社スタッフの指示がいい加減だったため、

一時間も周辺をグルグルと宿舎テントを探し回る羽目になり、

余立君親子は電話で抗議して、

その日からその旅行会社の宿泊予約は全てキャンセルしたためです。

その結果、ドライバー兼ガイドの馬暁旭さんが

毎晩行った先毎に、自分の知り合いの立派なホテルや、

家庭的でこれまた豪華な民宿などに連れて行ってくれ、

安く泊めてもらった次第です

馬さんがまだ25歳なのに、

ものすごい人脈を持っていること、

仲間同士の付き合い方が半端じゃないことに私は驚嘆しました。

そんな彼は回族出身です。

そして、日本人の客は私が初めてだとのこと。

私が「よかったら日本に来てくださいね」と言うと、

「自分は少数民族なので、漢民族のように自由に海外に出られません。

だから、日本で誰かが招待してくれるなら喜んでいきたいです。」

とのことでした。

心がムズムズとくすぐられましたよ。

誰か招待してくれる人はいませんかね。

招待者は日本国内で少しでも収入がある人でなければならないんですけど。

 

下は草原で宋老師の舞踊の真似をして踊る馬さん。

午後になるほどヒートアップしていくのでした(笑)。

 

17歳から親から一切お金をもらわず、自分の力で生きてきた馬さんは、

自分の車を数台持ち、今のシーズンは休む暇なく働いています。

これほど実力があるんだから、

自分で小さな旅行会社を経営したらいいのに…と心底思います。

 

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「チャカ塩湖から可鲁克(カルク)湖へ」No.2013

2017-07-23 00:00:57 | 中国事情

7月15日に山東省菏澤市を出発して、既に8日が過ぎ、

青海省の省都西寧に戻りました。

16日から今日22日までの一週間は、

西北の起点西寧から敦煌まで行って帰って来る長旅でしたが、

西寧市在住のガイド兼ドライバーのMr.馬(馬暁旭さん)の車での五人旅は

たいへん楽ちんで、しかも、毎日毎日が新鮮な体験の連続でした。

明日23日は、施芳芳さんと余立君さんのお母さん(宋老師)が家路に向かい、

余立君さん、周文毓さんと私はさらに旅を続けて、陝西省西安を目指します。

このブログをフェイスブックで見てくださっている方が

コメントを寄せてくださっても、

私はフェイスブックを開くことができないので、残念ながら読めません。

そういう訳で、いずれ日本に帰ってからゆっくりお返事させていただきますね。

 

7月17日:青海省の黒馬川からチャカ塩湖を経て可鲁克湖を見、

その夜は靑海省の西北で西寧市から732キロ、

そして甘粛省敦煌市から320キロ地点の大柴旦で泊まりました。

写真はその日の道々撮ったものです。

黒馬川からチャカ塩湖までは羊やヤクの群れが

山腹で草を食むのを見ながら進みました。

 

チャカ塩湖入場口は大変な人込みで、

私たちはトイレを使うのに一苦労しました。

(おお、障碍者用トイレがある!)と喜んでそこを使おうとしたら、

 

なんと鍵がかかっており、

ご丁寧に煉瓦までおいて封鎖していることを説明していました。

 

女性トイレは例によって満員もいいとこで、長蛇の列ができています。

一方、男性用トイレは・・・

列なんか全然できていません。

日本では改善されてきたように感じるこの女性差別現象ですが、

中国では多くの女性たちが訴えているのに、

まだ全体的に取り組みができていないようです。

 

それでも何とか歩いて約30分でチャカ塩湖にたどり着きました。

遠くまで人々が列になっているのが見えますね。

下は塩の結晶が見えるかなと思って水際?を撮ってみたものです。

まるで氷が張っているようで水は全く見えませんでした。

 

靴カバーは、途中の道で子どもが5元で売っていたのを買いました。

夏休みなので、お家の手伝いをしているんだろうなと思い……。

 

塩の塊の彫刻があちこちに。

前に立っているのは周文毓さんです。

 

塩湖の前での宋老師の舞踏。

塩湖の白さに衣装の赤が映えています。

 

塩湖から遠ざかる途中の道端はこんな感じでした。

塩分が強くて育ちにくいのでしょう。

 

さて、チャカ湖の次は可鲁克(カルク)湖です。

チャカ湖がファイブスターの一級観光地なのに比べて、

ここは星3つ、まあまあの名所なのでしょう。

しかし、人が少ないのでとても気持ちよく風景を満喫できましたよ。

 

可鲁克とは、ある若くて美しい女性の名前です。

この湖ともう一つの対をなす湖には、

親に結婚を反対され、砂漠に散った若い二人の物語があるんだそうです。

「砂漠に散る」というのがこの地域ならではだなあと感心しました

 

途中、景色がいいところでは写真撮影をしながら

一路西を目指して車は進みます。

下はガイド兼ドライバーの馬暁旭さん。

気配りが半端じゃなく、機転は聞くし、軽妙なジョークは飛ばすし、

テレビで覚えた日本語を脈絡なく喋って

車内の雰囲気を明るく保とうとするその態度を見て、

(いったいこの子はどんな人生を歩んでこんなになったんだろう)

と、興味を覚えました。

実は、後日彼にインタビューして

すっかり事情が呑み込めたのです。

非常に面白いインタビューでしたので、また改めて書きたいと思います。

余立君さんが上海からドローンを携えてきて撮影するので、

みんな珍しくて見ています。

日が暮れるのは午後8時半ぐらいです。

まだまだ車は進みます。

西北の人々の生活は夜型のようです。

この旅では晩御飯が毎晩10時か11時になることが多く、

その後、ブログを書こうとしてwifiのパワーが弱かったりすると、

もう眠くてたまらず、

待っていられなくてそのまま寝ることとなるのでした。

(続く)

 

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