にわとりのにわ a hen's little garden

歌うたい時々クラリネット吹きの日高由貴のblog。
ちいさなこころのにわの風景をすこしずつ書きとめていきたいです。

言葉から言葉へ

2008年10月16日 | 日々のこと
先日、日本語教師のボランティアをしている友人と話していて、言葉を教えるということについての話題になった。

昔、すこしだけ日本語教師の勉強をかじったことがあるけれど、わたしの記憶に間違いなければ、言語の教え方には、大きくわけてふたつあって、たとえば、日常で日本語を使っている人に英語を教えるときに、英語だけを使うやり方と、日本語を使って英語を教えるやり方とがある。

友人が師事している先生は、直接その言語で教えるやり方をされているということだった。

ふたつのやり方は、どちらがいいというものではなくて、習うひとの年齢や性格、生活環境、なんのためにその言語を覚えたいのか、などによってベストな方法は変わってくるだろうし、場合によっては、ふたつを組み合わせながら教える場合もあるだろう。

「わからない」という状況に、比較的長い時間耐えられたり、そのこと自体をたのしめたりする人と、どうしても我慢ができない、苦痛でたまらなくなる人との違いもあるだろうし、同じ人でも状況によって、「わからない」ということが、苦痛になったり楽しみになったり変化するのかもしれない。

だけど、すぐに別の言葉に翻訳して理解できたときに比べて、わからない言葉をずっとその言語だけで理解しようと苦労して、ある瞬間わかったときの感動ってすごいものがあるよね、ということで、友人と意見が一致した。

このことは、じつは同じ言語を話していて、通じていると思っているひとたち同士でもありうることで、ずっとわからないと思い込んでいた、あるいはわかっていると思い込んでいた、そのひとの言葉のつかい方や考え方が「わかった」と思えた瞬間の感動は、世界がぐるりと回転してみえるくらいの衝撃がある。

言葉ってほんとうに不思議で、おもしろい。

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