もちろん、前の「四葉が見ている夢」説に触発されてのことだけどw
でもね、この「風太郎が見ている夢」説は、そのまま、この作品のことかもしれない。
だって、第1話冒頭で
「夢を見ていた、
君と出会った高校二年の日
あの夢のような日の夢を」
って、ちゃんと書いてあるのだからw
しかも、わざわざ
あの「夢のような日」の夢を
って、今見ている「夢」の方を強調しているのだから。
となると、この夢はいつ見ていた夢か?ということになるけど、それは一番単純に考えれば、日の出祭三日目の、うつらうつらしていたとき、ってことかな。
じゃあ、なんでわざわざ、風太郎の夢と思ったか、というと、
119話をよく見ると、風太郎って、四葉にプロポーズするとき、右手じゃなく、左手を出してるじゃない?
でも、風太郎って、右利きだよね?
普通、ああいう場面って、利き腕の方を出すでしょ?
という至極単純な理由。
もちろん、あの場面なら、ブランコから転げ落ちて右肩を打撲したので右腕があがらなかったから、という理由は当然ありえるわけだけど。
でも、それにしては、風太郎は、ケロッとしていて、とても痛みがあるようには見えなかった。
となると、じゃあ、なんで左手? ってことにならない?
で、これって、夢なんじゃない?ってことに、一応飛躍してみるw
もちろん、夢なら四葉のほうが可能性は高いのだけど。
でも、そうか夢かぁ、夢ねぇ、あれ、そういえば・・・?
ってことで、第1話冒頭で、そもそも「夢」と風太郎が言っていたことを思い出した。
なので、「風太郎が夢を見ている」説、に至る。
もっとも、前にちょっと考えていたように、この第1話冒頭の「君」と呼びかけていたのが、五月である可能性もあるので、
五等分の花嫁 第118話 感想2: 物語の語り手は風太郎ではなく〈彼女〉だった?
となると、「これは五月が見ている夢」説も可能になるのだけどw
しかし、どうやら、五月が例の6年前の「写真の子」である説とか、そうでなくても、五月も6年前の京都ですでに風太郎と会っていた説なんかもあるようなので、あながち、「五月が見ている夢」説もありえなくはないのが怖いところ。
このあたりの説は、さすがにちょっとムリクリで五月エンドにしようとする強弁のようにも思えてしまうでの、なんとも言えないのだけど。
とはいえ、五月エンドに期待したいところがあるのは確か。
なぜなら、今のままの四葉エンドでは、あまりに凡庸で子どもっぽいオチでしかないので、物語的に認めがたいところが多いから。
要は、今のままの四葉エンドはつまらないから。
だから、五月エンドでなくても、たとえば一花でも三玖でもいいといえばいいのだけど。
でも、五月が一番しっくり来る気はするんだよね。
もっといえば、四葉エンドでいくなら、そレも、京都の子とかガン無視のいまのままの四葉エンドでいくなら、あの物語当初からの、ひたすら元気っ子の四葉であってほしかった、と思っているからでもある。
途中で明らかにされた、あの、ややこしいこじらせた本当の四葉の顔を知ってしまった後では、119話段階の四葉でさえ、風太郎に対して「作り笑い」をしているように見えるから。
要するに、「風太郎が大好き」というよりも、「とにかく風太郎に嫌われたくない」という気持ちのほうが前面に出ていて、いたたまれないから。
むしろ、ここのところの四葉は、とにかく無理している様子がありありで、痛々しくてしかたがない。
端的に、気持ち悪っ!、と思うのだけど。
だから、今回のプロポーズ前後の場面を見て、泣けた、とか、エモい、とか、言ってるのって、まったく理解不能なんだよね。
え、これみて、歯が浮くような気持ち悪さを感じないの?・・・って。
なんか、四葉も風太郎も、この選択が正解である、と一生懸命信じようとしているようにしか見えないのだけれど。
なんていうか、ミッション化している。
要するに、不自然な感じがひしひしと伝わってくるのだけど。
てか、しっくり来ない。
割れ鍋にとじ蓋、というしっくり感がないんだよね。
この四葉なら、まだしも二乃のほうがしっくりくるくらい。
もっとも、風太郎との相性でいうと、一花か五月、という感じしかしないんだけどね。
要は、風太郎を(四葉みたいに)全肯定するのではなく、折に触れて、ツッコミを入れ、もっといえば、叱れる相手ね。
てか、全肯定女子って、エモい前にキモいと思うのだけど。違うかなぁ?
ただ、そうなると、もう、一花が、今持っている、「京都の子と風太郎」の写真に賭けるくらいしかなくなってしまうのだけど。。。
うーん。
なんだかなー。
でもね、この「風太郎が見ている夢」説は、そのまま、この作品のことかもしれない。
だって、第1話冒頭で
「夢を見ていた、
君と出会った高校二年の日
あの夢のような日の夢を」
って、ちゃんと書いてあるのだからw
しかも、わざわざ
あの「夢のような日」の夢を
って、今見ている「夢」の方を強調しているのだから。
となると、この夢はいつ見ていた夢か?ということになるけど、それは一番単純に考えれば、日の出祭三日目の、うつらうつらしていたとき、ってことかな。
じゃあ、なんでわざわざ、風太郎の夢と思ったか、というと、
119話をよく見ると、風太郎って、四葉にプロポーズするとき、右手じゃなく、左手を出してるじゃない?
でも、風太郎って、右利きだよね?
普通、ああいう場面って、利き腕の方を出すでしょ?
という至極単純な理由。
もちろん、あの場面なら、ブランコから転げ落ちて右肩を打撲したので右腕があがらなかったから、という理由は当然ありえるわけだけど。
でも、それにしては、風太郎は、ケロッとしていて、とても痛みがあるようには見えなかった。
となると、じゃあ、なんで左手? ってことにならない?
で、これって、夢なんじゃない?ってことに、一応飛躍してみるw
もちろん、夢なら四葉のほうが可能性は高いのだけど。
でも、そうか夢かぁ、夢ねぇ、あれ、そういえば・・・?
ってことで、第1話冒頭で、そもそも「夢」と風太郎が言っていたことを思い出した。
なので、「風太郎が夢を見ている」説、に至る。
もっとも、前にちょっと考えていたように、この第1話冒頭の「君」と呼びかけていたのが、五月である可能性もあるので、
五等分の花嫁 第118話 感想2: 物語の語り手は風太郎ではなく〈彼女〉だった?
となると、「これは五月が見ている夢」説も可能になるのだけどw
しかし、どうやら、五月が例の6年前の「写真の子」である説とか、そうでなくても、五月も6年前の京都ですでに風太郎と会っていた説なんかもあるようなので、あながち、「五月が見ている夢」説もありえなくはないのが怖いところ。
このあたりの説は、さすがにちょっとムリクリで五月エンドにしようとする強弁のようにも思えてしまうでの、なんとも言えないのだけど。
とはいえ、五月エンドに期待したいところがあるのは確か。
なぜなら、今のままの四葉エンドでは、あまりに凡庸で子どもっぽいオチでしかないので、物語的に認めがたいところが多いから。
要は、今のままの四葉エンドはつまらないから。
だから、五月エンドでなくても、たとえば一花でも三玖でもいいといえばいいのだけど。
でも、五月が一番しっくり来る気はするんだよね。
もっといえば、四葉エンドでいくなら、そレも、京都の子とかガン無視のいまのままの四葉エンドでいくなら、あの物語当初からの、ひたすら元気っ子の四葉であってほしかった、と思っているからでもある。
途中で明らかにされた、あの、ややこしいこじらせた本当の四葉の顔を知ってしまった後では、119話段階の四葉でさえ、風太郎に対して「作り笑い」をしているように見えるから。
要するに、「風太郎が大好き」というよりも、「とにかく風太郎に嫌われたくない」という気持ちのほうが前面に出ていて、いたたまれないから。
むしろ、ここのところの四葉は、とにかく無理している様子がありありで、痛々しくてしかたがない。
端的に、気持ち悪っ!、と思うのだけど。
だから、今回のプロポーズ前後の場面を見て、泣けた、とか、エモい、とか、言ってるのって、まったく理解不能なんだよね。
え、これみて、歯が浮くような気持ち悪さを感じないの?・・・って。
なんか、四葉も風太郎も、この選択が正解である、と一生懸命信じようとしているようにしか見えないのだけれど。
なんていうか、ミッション化している。
要するに、不自然な感じがひしひしと伝わってくるのだけど。
てか、しっくり来ない。
割れ鍋にとじ蓋、というしっくり感がないんだよね。
この四葉なら、まだしも二乃のほうがしっくりくるくらい。
もっとも、風太郎との相性でいうと、一花か五月、という感じしかしないんだけどね。
要は、風太郎を(四葉みたいに)全肯定するのではなく、折に触れて、ツッコミを入れ、もっといえば、叱れる相手ね。
てか、全肯定女子って、エモい前にキモいと思うのだけど。違うかなぁ?
ただ、そうなると、もう、一花が、今持っている、「京都の子と風太郎」の写真に賭けるくらいしかなくなってしまうのだけど。。。
うーん。
なんだかなー。