『アオのハコ』、25話まで見てから、どうにも不完全燃焼だったので、そのまま原作で続きを読んだのだけど、そうしたらアニメの印象が悪かったのがよくわかった。
簡単に言えば、アニメ制作陣は原作を読み違えている。
原作は、実は大喜も千夏も主役ではないんだよ。
このマンガの主役は「アオのハコ」、すなわち、体育部の面々が部活に励む体育館。
「アオのハコ」って、「青春を謳歌する体育部の部活の舞台である体育館」、つまり「青の館」という意味だった!
だから、大喜も千夏もその体育館で部活に汗を流すキャラのひとりでしかない。
実際、アニメ25話の後からどうなるかといえば、実は、匡や菖蒲もそれなりに尺が取られる人物になる。
もちろん、大喜と千夏は付き合うことになるわけだけど、でも、それも恋愛にどっぷりハマると言うよりも、互いに励まし合って部活を頑張るパートナー!って感じ。
千夏が大喜の家に泊まり込むことになったという変な設定も、要するに、二人が少なくとも高校生の間はセックス抜きのプラトニックな関係に徹するように、読者にも納得させるための制約条件だった。
だってインターハイ出場のために下宿させてもらっている家の息子とその家でイチャイチャしたりしたらそりゃ、問題でしょ。
そもそも大喜の母親と千夏の母親が高校時代にバスケ部の同級生だったわけだし。
つまり、大喜と千夏は、擬似的ないとこみたいな関係だったから。
千夏をお姉さんにしたのも、大喜が受動的な草食男子であっても問題がないために用意された設定だった。
まぁ、作者がそういう姉さん女房的な関係性のほうが、少女漫画チックでガツガツしない空気にできると思ったのだろうけど。
そういう意味では、雛が早々に大喜に失恋したのも、雛と付き合うことになったら大喜も普通に大人の階段をのぼる方向に行動しないわけにはいかなくなるから。
雛だと大喜がプラトニックで居続けるのも無理があったから。
なので、雛は早々にアプローチさせてあっさり失恋させた。
そうしたら、あとは大喜と千夏のプラトニックな恋愛を放置しても平気だから。
だいたい、振られた後、雛はどうなるのか?
新しい恋に生きるのか?と思ってたら、雛の相手をするのは、もっぱら菖蒲だったという事実w
いやー、菖蒲は本当に便利なキャラで、彼女が現れた結果、雛は振られ、その雛の救済も菖蒲が行うというw
まぁ、菖蒲もどうも匡との関係に悩んでいるわけだけど。
そうなんだよね、雛が振られた後、そして大喜と千夏が付き合い始めた後、「アオハル」の主役は、匡と菖蒲になる。
しかもこの二人、それぞれバックグランドが複雑で、しかもそれなりに相手の気持ちを察してしまうという「内面描写が繊細なキャラ」なので、大喜、千夏、雛、のようなわかりやすい三角関係とかにもならない。
まぁ、大喜、千夏、雛の関係に決着がついてしまったので、色恋沙汰のほう匡と菖蒲に任せてお茶を濁す、ということなのだろうけどw
とまれ、ずっと雛が放って置かれたのは結構驚いたのと同時に、あー、このマンガは少女漫画なんだ、登場人物たちのナイーブな関係性を「アオハル」として描きたいんだ、ってことに気がつくことができたわけだけど。
とはいえ、さすがにずっと雛を放置したままというのも作者も気が引けたのか、雛を慕う1年生が登場して、なんていうか、大喜と千夏の関係を、その一年生と反復することになる。
といっても、その1年生が遊佐くんの弟と、言うのはどうかと思うけれどw
ついでにいえば、一年には、兵藤の妹も加わって。
いや、作者、それはいくらなんでも便利に外部の関係者の親族を「青の館」に集めすぎ!って思ったもの。
だって、菖蒲にしたって、花恋の妹なわけじゃんw
そのうち、針生の妹とか弟とか、大喜が3年になったら1年で入部してくるんじゃないかと思ってしまうくらいw
・・・というくらい、このマンガは、少女漫画的な「関係性」に焦点を当てたマンガ。
誰が主人公というわけでも主役でもない。
大喜はせいぜい、物語を語るうえでの視点人物くらいな位置づけ。
それを、アニメスタッフは、普通に少年漫画的な「青春と恋愛」もののようにプレゼンしてしまったから、見ているが側はあれれ???と思ってしまった。
そういう意味ではやっぱり誤解を与えたのは、第1クールのOP。
あれで、青春と恋愛がテーマで、大喜と千夏と雛の三角関係が描かれると思ってしまった。
前にも触れたことがあるけど、要は『タッチ』ね。
『タッチ』は、双子の男子2人とお隣さんの女子1人、という関係から始まったけど、『アオのハコ』は、男女の人数を入れ替えて、女子2人に男子1人の関係にした。
で、お隣さん、という設定は、ひとりは同居人、ひとりは幼馴染、みたいにして2分割した。
で、『タッチ』では交通事故で双子の一人が死んでから、残った二人は、野球と新体操にストイックに取り組んでいったわけだけど、それを『アオのハコ』では、幼馴染枠の女子を早々に失恋させて、3人ともストイックに全国大会を目指すことになった。
ただ、『タッチ』は少年漫画だから、あくまでも主役2人が物語の中心でい続けたわけだけど、少女漫画な『アオのハコ』は、主役は不確定で、とにかく誰かが部活や恋に一蹴懸命になっている様子を描いている。
こうした『アオのハコ』の少女漫画性をアニメ制作陣は見誤った。
だから、多分、『リズと青い鳥』を監督した山田尚子あたりが監督をしていれば、原作の良さをもっと引き出せたと思う。
実際、少女漫画性、という点では、『アオのハコ』って『響け!ユーフォニアム』の体育部版・・・なんだよね。
原作絵も、あまり輪郭線に力のないぼやけたトーンで、それも読者の関心をキャラそのものよりも、キャラの間の関係性に向かわせている。
実際、全体的に「間」や「空間」を十分取った描き方をしているし。
それが、アニメだと、半分は作画のカロリーを下げるために、ありがちなアップ絵も多用したから、むりやりキャラに焦点が当てられているような印象を与えた。
でもそれは、関係性を描く原作からするとミスマッチな描写でしかなかった。
・・・ということで、そりゃあ、アニメを見るとフラストレーションが貯まるはずだと思った次第。
そういう意味では、もっと早くに素直に原作を読んでいれば、アニメを見ながら脳内補完ができていたのかもしれない。
ただその場合は、ここちょっとニュアンスが違う!ってぶつくさ言ってた気もするが。
とまれ、原作とアニメの違いの理由はよくわかったので、アニメに対する不満については、それはそれとして、2期を楽しみに待ちたい気持ちにもなった。
いやー、菖蒲があんな風にこれ以後、トリックスターな悩める少女という難しいキャラになるのなら、CVが市ノ瀬加那が抜擢されたのも納得、という感じ。
早く菖蒲が右往左往する場面が見たいので、2期といわず、3期も早くやってほしいぞ!w
簡単に言えば、アニメ制作陣は原作を読み違えている。
原作は、実は大喜も千夏も主役ではないんだよ。
このマンガの主役は「アオのハコ」、すなわち、体育部の面々が部活に励む体育館。
「アオのハコ」って、「青春を謳歌する体育部の部活の舞台である体育館」、つまり「青の館」という意味だった!
だから、大喜も千夏もその体育館で部活に汗を流すキャラのひとりでしかない。
実際、アニメ25話の後からどうなるかといえば、実は、匡や菖蒲もそれなりに尺が取られる人物になる。
もちろん、大喜と千夏は付き合うことになるわけだけど、でも、それも恋愛にどっぷりハマると言うよりも、互いに励まし合って部活を頑張るパートナー!って感じ。
千夏が大喜の家に泊まり込むことになったという変な設定も、要するに、二人が少なくとも高校生の間はセックス抜きのプラトニックな関係に徹するように、読者にも納得させるための制約条件だった。
だってインターハイ出場のために下宿させてもらっている家の息子とその家でイチャイチャしたりしたらそりゃ、問題でしょ。
そもそも大喜の母親と千夏の母親が高校時代にバスケ部の同級生だったわけだし。
つまり、大喜と千夏は、擬似的ないとこみたいな関係だったから。
千夏をお姉さんにしたのも、大喜が受動的な草食男子であっても問題がないために用意された設定だった。
まぁ、作者がそういう姉さん女房的な関係性のほうが、少女漫画チックでガツガツしない空気にできると思ったのだろうけど。
そういう意味では、雛が早々に大喜に失恋したのも、雛と付き合うことになったら大喜も普通に大人の階段をのぼる方向に行動しないわけにはいかなくなるから。
雛だと大喜がプラトニックで居続けるのも無理があったから。
なので、雛は早々にアプローチさせてあっさり失恋させた。
そうしたら、あとは大喜と千夏のプラトニックな恋愛を放置しても平気だから。
だいたい、振られた後、雛はどうなるのか?
新しい恋に生きるのか?と思ってたら、雛の相手をするのは、もっぱら菖蒲だったという事実w
いやー、菖蒲は本当に便利なキャラで、彼女が現れた結果、雛は振られ、その雛の救済も菖蒲が行うというw
まぁ、菖蒲もどうも匡との関係に悩んでいるわけだけど。
そうなんだよね、雛が振られた後、そして大喜と千夏が付き合い始めた後、「アオハル」の主役は、匡と菖蒲になる。
しかもこの二人、それぞれバックグランドが複雑で、しかもそれなりに相手の気持ちを察してしまうという「内面描写が繊細なキャラ」なので、大喜、千夏、雛、のようなわかりやすい三角関係とかにもならない。
まぁ、大喜、千夏、雛の関係に決着がついてしまったので、色恋沙汰のほう匡と菖蒲に任せてお茶を濁す、ということなのだろうけどw
とまれ、ずっと雛が放って置かれたのは結構驚いたのと同時に、あー、このマンガは少女漫画なんだ、登場人物たちのナイーブな関係性を「アオハル」として描きたいんだ、ってことに気がつくことができたわけだけど。
とはいえ、さすがにずっと雛を放置したままというのも作者も気が引けたのか、雛を慕う1年生が登場して、なんていうか、大喜と千夏の関係を、その一年生と反復することになる。
といっても、その1年生が遊佐くんの弟と、言うのはどうかと思うけれどw
ついでにいえば、一年には、兵藤の妹も加わって。
いや、作者、それはいくらなんでも便利に外部の関係者の親族を「青の館」に集めすぎ!って思ったもの。
だって、菖蒲にしたって、花恋の妹なわけじゃんw
そのうち、針生の妹とか弟とか、大喜が3年になったら1年で入部してくるんじゃないかと思ってしまうくらいw
・・・というくらい、このマンガは、少女漫画的な「関係性」に焦点を当てたマンガ。
誰が主人公というわけでも主役でもない。
大喜はせいぜい、物語を語るうえでの視点人物くらいな位置づけ。
それを、アニメスタッフは、普通に少年漫画的な「青春と恋愛」もののようにプレゼンしてしまったから、見ているが側はあれれ???と思ってしまった。
そういう意味ではやっぱり誤解を与えたのは、第1クールのOP。
あれで、青春と恋愛がテーマで、大喜と千夏と雛の三角関係が描かれると思ってしまった。
前にも触れたことがあるけど、要は『タッチ』ね。
『タッチ』は、双子の男子2人とお隣さんの女子1人、という関係から始まったけど、『アオのハコ』は、男女の人数を入れ替えて、女子2人に男子1人の関係にした。
で、お隣さん、という設定は、ひとりは同居人、ひとりは幼馴染、みたいにして2分割した。
で、『タッチ』では交通事故で双子の一人が死んでから、残った二人は、野球と新体操にストイックに取り組んでいったわけだけど、それを『アオのハコ』では、幼馴染枠の女子を早々に失恋させて、3人ともストイックに全国大会を目指すことになった。
ただ、『タッチ』は少年漫画だから、あくまでも主役2人が物語の中心でい続けたわけだけど、少女漫画な『アオのハコ』は、主役は不確定で、とにかく誰かが部活や恋に一蹴懸命になっている様子を描いている。
こうした『アオのハコ』の少女漫画性をアニメ制作陣は見誤った。
だから、多分、『リズと青い鳥』を監督した山田尚子あたりが監督をしていれば、原作の良さをもっと引き出せたと思う。
実際、少女漫画性、という点では、『アオのハコ』って『響け!ユーフォニアム』の体育部版・・・なんだよね。
原作絵も、あまり輪郭線に力のないぼやけたトーンで、それも読者の関心をキャラそのものよりも、キャラの間の関係性に向かわせている。
実際、全体的に「間」や「空間」を十分取った描き方をしているし。
それが、アニメだと、半分は作画のカロリーを下げるために、ありがちなアップ絵も多用したから、むりやりキャラに焦点が当てられているような印象を与えた。
でもそれは、関係性を描く原作からするとミスマッチな描写でしかなかった。
・・・ということで、そりゃあ、アニメを見るとフラストレーションが貯まるはずだと思った次第。
そういう意味では、もっと早くに素直に原作を読んでいれば、アニメを見ながら脳内補完ができていたのかもしれない。
ただその場合は、ここちょっとニュアンスが違う!ってぶつくさ言ってた気もするが。
とまれ、原作とアニメの違いの理由はよくわかったので、アニメに対する不満については、それはそれとして、2期を楽しみに待ちたい気持ちにもなった。
いやー、菖蒲があんな風にこれ以後、トリックスターな悩める少女という難しいキャラになるのなら、CVが市ノ瀬加那が抜擢されたのも納得、という感じ。
早く菖蒲が右往左往する場面が見たいので、2期といわず、3期も早くやってほしいぞ!w