流れを知ってからもう一度、第118話を読み直して思ったのは、
あれ、風太郎はホントに四葉のことが好きなのかな?
ということだった。
具体的な理由は、第100話の最後で風太郎がナレーションとして語ったことからなのだけど、あそこでは
「この選択は、あるいはこの選択をすることは、正しかったのだろうか」
と自問したうえで、
「そんなことを考えるには、三日間はあまりに短すぎた」
といい、とりあえずは自分を納得させている。
これ、普通に考えれば、この選択をこれが語られた後日において、後悔しているという表明だよね?
要するに、三日間では、正しい選択をすることができなった、ということ。
もちろん「この選択」とは、四葉を選んだことね。
で、117話冒頭の風太郎って、実はこの「後悔」モードの数歩手前の、117話の五月的にいえば、なんか「もやもやした」感じになっているんじゃないの?
あれ、これで、ほんとに良かったんだっけ? という感じ。
風太郎にとって、四葉って、あの日の出祭の勢いの中で、無理やり選ばされた感じも拭えない、という気にもなっていると思う。
その点で、やらされていることは、京都の修学旅行の時の映画村での三玖と大して変わらない。
周りのサポートがあって、むりやり正解(とおぼしきもの)を掴み取らされたという感じ。
でなければ、普通に考えて、今回、風太郎も、好きだ、と四葉にいってもいいシチュエーションだよね。
もしも、四葉のことが好きで好きでたまらないのなら、四葉の気持ちを盗み聞きした上で二乃に見つけられてしまった時点で、四葉に対して、言い残していた「俺もお前が好きだ」といってしまえばよかったのに。
それを、あそこで言いよどむかな。
むしろ、五月が「モヤモヤした感情がなくなった」ということに、「?どういうことだ」と問い直していたりして。
いまさらながら、風太郎って「好き」ってどういうことなんだろう?って悩んでたりしてはいないのかな?
先に言ってしまうと、今回までの話は、四葉が姉妹の不安を取り除いて、いよいよ風太郎にちゃんと向き合えるようになる、というお膳立てをしてきた回だったわけだけど、実は、それと同じくらい、五月が自分の気持ちにきちんと気づくことができたという意味では「アイム・レディー」、つまり「準備は整った」という回だったと思うのだよね。
つまり、一見すると、五月もまた二乃と同じように風太郎に対する気持ちに区切りをつけたように見えるけど、その実、五月が、風太郎を、二乃と同じくらいにまで「好き」になっていることを認める回だった、ということ。
そして、これは五月の悪い癖だけど、今回、けじめがつけたと思えたのも、単に二乃の威勢のいい宣言を聞いて納得してしまっただけのことで、実は、彼女自身の言葉で、風太郎に対して区切りをつけたわけでは全くないのが実情。
ホント、五月って、優等生なんだから!、ってこと。
だから、五月の場合は、むしろ、エンジンが温まってきた、ってことだと思うよ。
でなければ、今回のラストでわざわざ、「五月の思い出」として「零奈の姿で」風太郎とボートに乗ったシーンなんか思い出さないでしょ?
あれは、物語展開の上でも、五月が思い出すことで、同時に(こんなふうに毎回感想を上げてしまうような呆れた読者wではなく)普通の読者にも、改めて零奈のエピソードを思い出させるための誘導としてのシーンだった、のだと思う。
単行本なら、次の回のシーンにそのまま続くわけだし。
で、問題は、やはり、そんな「モヤモヤした感情がなくなった」という五月に対して風太郎が逐一気にかけていること。
ついでに言えば、彼が前回、五月に相談を持ちかけようとした内容が、明らかにされてはいない。
その意味では、四葉以上に、いま、風太郎がなにを考えているのか、全くわからない。
で、多分、風太郎的にどうしても気になるのが、零奈のことなんだろう。
そして、だからこそ、彼は99話で、日の出祭初日の午後3時に、わざわざ五つ子を「全員」招集して、
「俺はお前たち五人が好きだ」
と言ったのではないか。
すでに告白している二乃と三玖、加えてほぼ告白したような一花は、そう言われるのは理解できるとして、あの時、「あれ、え、私も?」と、四葉と五月も、慌てていたわけで。
で、あのシーンは、今から振り返れば、四葉については、純粋に、いつも俺を救ってくれてありがとう、というのが、風太郎の本心だったわけで、それが高じて「好意」に変わっていた。
でも、あの時、五月をも、風太郎が「好き」だと言った理由は、まだ風太郎からは明かされていない。
となると、風太郎としては、五月が零奈であると踏んでいて、それが理由で、五月に対しても好意を持っている、という判断をしたのだと思う。
だから、やはり、風太郎からしてみたら、零奈は誰かを突き止めるイベントを、誰が本当に「好き」なのか、はっきりさせるためにも、外すわけにはいかなくなる。
要するに、四葉が、風太郎のことは好きだけど、同時に、姉妹のことも大事です、というのと同じくらい、風太郎にとっては、「零奈」ならびに「京都の子」が誰か、はっきりさせないではいられない。
多分、この問題が、実際に四葉を(まずは)選んだ、という決断をしてから、具体的に風太郎の気持ちに覆いかぶさってきたのだと思う。
だから、風太郎は風太郎で、どこか四葉に対して、よそよそしい態度をとる。
なので、順番として、次回まずは、四葉と一緒にブランコを漕ぐことになるのだろうけど。
でも、それだけでは終わらないと思うのだよね。
そこで一つ気になるのが、日の出祭最終日(だけ)に、五月がわざわざ、
「君だって私の理想なんだよ、それだけ聞いてほしかったの」
っていったこと。
キーワードは「君」という呼称ね。
絶対、このタイミングで風太郎を「君」と呼ばせたのは、時間軸的には、日の出祭三日目の、この五月とのイベントの前に起こっていた、四葉による「夢うつつ」の風太郎のキスを五月がしたのではないか?と、風太郎に誤解させる、というよりも、ミスリードさせるためのものなのではないか、と。
しかも、五月がこう呼びかけるシーンの直前では、階段を降りてくる五月が(鐘キスのときの五月のように)風太郎に覆いかぶさるようにするカットが挟まれて、あまつさえ風太郎自身、鐘キスのことを思い出して赤面しているような場面に続いている。
しかも、わざわざ、階段の前後で話す、という形で。
この五月との階段のシーンは、
6年前の京都で、京都の子(=四葉)が風太郎に声をかけてくれたシーン
を思い出させると同時に、
直前の夢うつつの風太郎に対して、今の高3の四葉が、しかし口調だけは「京都の子=零奈」としてキスするシーン
をも思い出させるものだから。
この、四葉から五月へという流れで行けば、風太郎が、五月を零奈、そして京都の子と誤認してもおかしくはないと思う。
もっといえば、この結果、風太郎は、四葉は「京都の子」ではないと誤認して、それもあって、四葉を選ぶことになったのではないか。
ただ、その判断がだんだんわからなくなってきた。
多分、風太郎は風太郎で、零奈のことが気になって仕方がない。
そのため、零奈の最有力候補として五月も「好き」の対象に入っていた。
とにかく風太郎は五月が「零奈」であり「京都の子」であることをはっきりさせたくて仕方がない
それが、117話で、風太郎が、五月を昼飯に呼び出した理由だったのではないか?という気がしている。
もっといえば、風太郎は、五月が零奈であってほしいと思っている。
要するに、118話の話を受けても、いまだに、四葉エンド以外のルートがあるんじゃないか、と思っているわけで、そのなかで、可能性が高いのが、やはり五月エンドではないかな、ということ。
そして、そのためのお膳立てが、五月自身、「零奈」を演じたことを今回の最後で思い出したことで、本格的に整ったのではないか、ということ。
だって、あの、らいはにせがまれて撮ったプリクラが、いま振り返られるなんて、反則以外のなにものでもないじゃない。
ただ、問題は、京都の子は四葉であって、零奈は五月であること。
そういう意味では、風太郎がどちらを選ぶのかは、五分五分かもしれない。
ただ、それでも五月が優位だと思うのは、風太郎の100話最後のナレーション。
「この選択」は正しかったのか?
つまり、まだまだ、簡単には終わらないと思う。
あれ、風太郎はホントに四葉のことが好きなのかな?
ということだった。
具体的な理由は、第100話の最後で風太郎がナレーションとして語ったことからなのだけど、あそこでは
「この選択は、あるいはこの選択をすることは、正しかったのだろうか」
と自問したうえで、
「そんなことを考えるには、三日間はあまりに短すぎた」
といい、とりあえずは自分を納得させている。
これ、普通に考えれば、この選択をこれが語られた後日において、後悔しているという表明だよね?
要するに、三日間では、正しい選択をすることができなった、ということ。
もちろん「この選択」とは、四葉を選んだことね。
で、117話冒頭の風太郎って、実はこの「後悔」モードの数歩手前の、117話の五月的にいえば、なんか「もやもやした」感じになっているんじゃないの?
あれ、これで、ほんとに良かったんだっけ? という感じ。
風太郎にとって、四葉って、あの日の出祭の勢いの中で、無理やり選ばされた感じも拭えない、という気にもなっていると思う。
その点で、やらされていることは、京都の修学旅行の時の映画村での三玖と大して変わらない。
周りのサポートがあって、むりやり正解(とおぼしきもの)を掴み取らされたという感じ。
でなければ、普通に考えて、今回、風太郎も、好きだ、と四葉にいってもいいシチュエーションだよね。
もしも、四葉のことが好きで好きでたまらないのなら、四葉の気持ちを盗み聞きした上で二乃に見つけられてしまった時点で、四葉に対して、言い残していた「俺もお前が好きだ」といってしまえばよかったのに。
それを、あそこで言いよどむかな。
むしろ、五月が「モヤモヤした感情がなくなった」ということに、「?どういうことだ」と問い直していたりして。
いまさらながら、風太郎って「好き」ってどういうことなんだろう?って悩んでたりしてはいないのかな?
先に言ってしまうと、今回までの話は、四葉が姉妹の不安を取り除いて、いよいよ風太郎にちゃんと向き合えるようになる、というお膳立てをしてきた回だったわけだけど、実は、それと同じくらい、五月が自分の気持ちにきちんと気づくことができたという意味では「アイム・レディー」、つまり「準備は整った」という回だったと思うのだよね。
つまり、一見すると、五月もまた二乃と同じように風太郎に対する気持ちに区切りをつけたように見えるけど、その実、五月が、風太郎を、二乃と同じくらいにまで「好き」になっていることを認める回だった、ということ。
そして、これは五月の悪い癖だけど、今回、けじめがつけたと思えたのも、単に二乃の威勢のいい宣言を聞いて納得してしまっただけのことで、実は、彼女自身の言葉で、風太郎に対して区切りをつけたわけでは全くないのが実情。
ホント、五月って、優等生なんだから!、ってこと。
だから、五月の場合は、むしろ、エンジンが温まってきた、ってことだと思うよ。
でなければ、今回のラストでわざわざ、「五月の思い出」として「零奈の姿で」風太郎とボートに乗ったシーンなんか思い出さないでしょ?
あれは、物語展開の上でも、五月が思い出すことで、同時に(こんなふうに毎回感想を上げてしまうような呆れた読者wではなく)普通の読者にも、改めて零奈のエピソードを思い出させるための誘導としてのシーンだった、のだと思う。
単行本なら、次の回のシーンにそのまま続くわけだし。
で、問題は、やはり、そんな「モヤモヤした感情がなくなった」という五月に対して風太郎が逐一気にかけていること。
ついでに言えば、彼が前回、五月に相談を持ちかけようとした内容が、明らかにされてはいない。
その意味では、四葉以上に、いま、風太郎がなにを考えているのか、全くわからない。
で、多分、風太郎的にどうしても気になるのが、零奈のことなんだろう。
そして、だからこそ、彼は99話で、日の出祭初日の午後3時に、わざわざ五つ子を「全員」招集して、
「俺はお前たち五人が好きだ」
と言ったのではないか。
すでに告白している二乃と三玖、加えてほぼ告白したような一花は、そう言われるのは理解できるとして、あの時、「あれ、え、私も?」と、四葉と五月も、慌てていたわけで。
で、あのシーンは、今から振り返れば、四葉については、純粋に、いつも俺を救ってくれてありがとう、というのが、風太郎の本心だったわけで、それが高じて「好意」に変わっていた。
でも、あの時、五月をも、風太郎が「好き」だと言った理由は、まだ風太郎からは明かされていない。
となると、風太郎としては、五月が零奈であると踏んでいて、それが理由で、五月に対しても好意を持っている、という判断をしたのだと思う。
だから、やはり、風太郎からしてみたら、零奈は誰かを突き止めるイベントを、誰が本当に「好き」なのか、はっきりさせるためにも、外すわけにはいかなくなる。
要するに、四葉が、風太郎のことは好きだけど、同時に、姉妹のことも大事です、というのと同じくらい、風太郎にとっては、「零奈」ならびに「京都の子」が誰か、はっきりさせないではいられない。
多分、この問題が、実際に四葉を(まずは)選んだ、という決断をしてから、具体的に風太郎の気持ちに覆いかぶさってきたのだと思う。
だから、風太郎は風太郎で、どこか四葉に対して、よそよそしい態度をとる。
なので、順番として、次回まずは、四葉と一緒にブランコを漕ぐことになるのだろうけど。
でも、それだけでは終わらないと思うのだよね。
そこで一つ気になるのが、日の出祭最終日(だけ)に、五月がわざわざ、
「君だって私の理想なんだよ、それだけ聞いてほしかったの」
っていったこと。
キーワードは「君」という呼称ね。
絶対、このタイミングで風太郎を「君」と呼ばせたのは、時間軸的には、日の出祭三日目の、この五月とのイベントの前に起こっていた、四葉による「夢うつつ」の風太郎のキスを五月がしたのではないか?と、風太郎に誤解させる、というよりも、ミスリードさせるためのものなのではないか、と。
しかも、五月がこう呼びかけるシーンの直前では、階段を降りてくる五月が(鐘キスのときの五月のように)風太郎に覆いかぶさるようにするカットが挟まれて、あまつさえ風太郎自身、鐘キスのことを思い出して赤面しているような場面に続いている。
しかも、わざわざ、階段の前後で話す、という形で。
この五月との階段のシーンは、
6年前の京都で、京都の子(=四葉)が風太郎に声をかけてくれたシーン
を思い出させると同時に、
直前の夢うつつの風太郎に対して、今の高3の四葉が、しかし口調だけは「京都の子=零奈」としてキスするシーン
をも思い出させるものだから。
この、四葉から五月へという流れで行けば、風太郎が、五月を零奈、そして京都の子と誤認してもおかしくはないと思う。
もっといえば、この結果、風太郎は、四葉は「京都の子」ではないと誤認して、それもあって、四葉を選ぶことになったのではないか。
ただ、その判断がだんだんわからなくなってきた。
多分、風太郎は風太郎で、零奈のことが気になって仕方がない。
そのため、零奈の最有力候補として五月も「好き」の対象に入っていた。
とにかく風太郎は五月が「零奈」であり「京都の子」であることをはっきりさせたくて仕方がない
それが、117話で、風太郎が、五月を昼飯に呼び出した理由だったのではないか?という気がしている。
もっといえば、風太郎は、五月が零奈であってほしいと思っている。
要するに、118話の話を受けても、いまだに、四葉エンド以外のルートがあるんじゃないか、と思っているわけで、そのなかで、可能性が高いのが、やはり五月エンドではないかな、ということ。
そして、そのためのお膳立てが、五月自身、「零奈」を演じたことを今回の最後で思い出したことで、本格的に整ったのではないか、ということ。
だって、あの、らいはにせがまれて撮ったプリクラが、いま振り返られるなんて、反則以外のなにものでもないじゃない。
ただ、問題は、京都の子は四葉であって、零奈は五月であること。
そういう意味では、風太郎がどちらを選ぶのかは、五分五分かもしれない。
ただ、それでも五月が優位だと思うのは、風太郎の100話最後のナレーション。
「この選択」は正しかったのか?
つまり、まだまだ、簡単には終わらないと思う。