118話の最後の2ページのシーンがどうにも気になって、零奈が風太郎にあった42話の前後を読み直したのだけれど、
五月って、42話で零奈として風太郎に会ったときに、風太郎から「本当はやればできるのにもったいない」と自分の評価を聞かされた時点で、すでに「落ちて」いるよねw
それに風太郎は風太郎で、すでにこの零奈が五つ子のうちの誰かだとなんとなく気づいているよね。
でも、初めて零奈に出くわした時の風太郎の驚愕ぶりを思い出すだに、風太郎がどれだけ零奈=京都の子を大事にしていたかがわかる。
だって、あの時、零奈に「さよなら」と言われてマジで落ち込んだわけで、その落ち込みぶりは、当時はまだ険悪な仲だった二乃を真剣に心配させるくらいの酷さだったのだから。
なにしろ、風太郎から零奈の顛末を聞いた二乃は、あの時、号泣してたからね。
だから、あの時の風太郎を泣かせた零奈が、実は、オリジナルの京都の子である四葉が、五月に頼んでやらせた芝居だった、なんてことが発覚したら、これ、いまや「フーくん愛」の結晶である二乃からすれば、そして正義ガールである二乃からすれば、もう四葉とは絶好、というレベルを超えて、殺意を覚えるレベルじゃないの?
ということで、どう考えても、零奈問題は、この先の土壇場の展開で、ものすごい爆弾になるはず。
もちろん、五つ子だけでなく、風太郎も含めてね。
それに、正直なところ、実はだんだん、この数話の、いつになく四葉が自分自身のことを語っているところを見続けた結果、あれれ、もしかして四葉って、実は腹黒?という気もしてきていて。
それは、四葉の過去話を扱った89話で、その時通っていた高校の講堂でバスケかなにかで優勝したことで全校生徒に紹介されている場面で、
「私が姉妹で一番なんだ!特別なんだ!」
っていってる場面を思い出してしまったからなのだけど。
つまり、四葉の本質って、どこまでいっても「自己チュー」の、自分が一番大事な子なんだよね、きっと。
もちろん、その後の自分の不始末で、姉妹まで含めて転校しなくちゃいけなくなったことをきっかけに、今度は「姉妹が一番!」の子になったわけだけど、それも「自分の居場所を作る」という点で「自己チュー」であることは変わらない。
要するに、姉妹の中で、実は、三玖以上に、コミュ障の困ったちゃんが四葉。
そして、それが高じて、天然に「腹黒」な所作に及んでしまう。
これ、天然だけに、始末が悪くて。
オルタ一花さんなんて、目じゃないくらい。
いや、だってさ、冷静に考えたら、そもそも零奈という架空キャラを出さなきゃいけなくなった理由って、今の自分が恥ずかしくて風太郎に直接名乗りあげることができない、ということでしょ?
だったら、ただ黙っていればいいんだよ。
それを(当時の)五月が、風太郎に対して最も中立的であることをいいことに、彼女に頼んで「さよなら」とわざわざ伝えさせるのだから。
これって、いろいろな意味で、他人の気持ちが全然わかってない。
というか、他人の心を踏みにじっている。
もちろん、それくらい四葉が悩んでいたことはわかる。
でもね、それなら彼女は、ひとり遠くから風太郎を眺めていればいいんだよ。
だけど、今のように、表舞台に立たされてしまったときに振り返ると、あれれ、なにそれ、キモ!、それはないわ―、って類のヤバさ、だよね。
だから、四葉推しの人に悪いけれど、この数話の四葉の行動は、こじらせすぎている、という点ではドン引きしてしまうレベルにまで達していると思う。
でもまぁ、四葉のことはこれくらいにして、もとに戻るとして、
118話で一番気になったのは、なぜ、いまさら、零奈(=五月)のお守りの「中身」のことを思い出させるわけ?ってこと。
しかも、あのお守りは、50話で風太郎が川に落ちた時になくしてしまったわけで。風太郎からしたら、もう確認のしようがないもので。
あの中身は何なの?
あの中身が、最終局面で重要になるものなの?
まさか118話の最後で見せた、五月のスマホの裏面に貼ってあるプリクラじゃないよね?
というか、118話で五月が風太郎にスマホを貸すのを躊躇ったのって、裏面にこのプリクラが貼ってあることがバレちゃうからだよね?
いやだから、118話の最後で、いずれも五月が関わった
零奈
お守り
プリクラ
なんてこの物語の上でめちゃくちゃ大事な出来事を、三連チャンで畳み掛けるように、この期に及んで読者に思い出ささせておいて、
その上で、最後のページで、風太郎に、まるでもう(恋人であるのを通り越して)夫婦であるかのように、寄り添うように座っている姿を見せられて、そのうえ、
「上杉君、おめでとう」
といわれて、ハイ、そうですか、で終わるはずないでしょ?
これは、もう、ただただ、五月のゲージが目一杯触れていることの表現でしかない。
だから、繰り返しになるけど、この3つの出来事の畳み掛けで示されたことは、物語当初では、というよりも林間学校の頃には、父親嫌いから男性嫌いの気があった五月が、日の出祭以降、風太郎に対する意識の封印をどんどん次々と破ってきているのであって、それが今回でマックス!に達したということ。
だって、五月はとうとう明確に恋心を自覚した上で、四葉を思って「引く」決意をしたのだから。
だからこそ、今思えば、確かに日の出祭の時、五月には、無堂という実父の負わせた枷を外すエピソードが必要だったことになる。
あのとき、最初に無堂が現れたときは、なんでこの「風太郎が五つ子の一人を選ぶ」なんて一大イベントが控えている時に、五月だけ、こんなハゲオヤジの相手をしなくちゃいけないの? って、真剣に思ったけど。
でも、あれは、むしろ、今、五月が末脚を発揮して、風太郎ラブマックスとなるために必要な、まずは突破すべき第一の関門だったんだよ。
あれで初めて五月は、父親嫌いに発した男性不信から解放されたのだから。
しかも、その不信を取り除いてくれたのが風太郎なのだから。
これで惚れないわけがないじゃない?
五月にとっては、あの時が、始まりだったんだよ。
もちろん、それまでに、風太郎ならびに上杉家とは長いお付き合い、それに竹林に対して啖呵を切るくらい「深い」お付き合いがあったわけだけど、でも、それを恋心と認識するには、父親嫌い=男性不信、という障害が邪魔していた。
そういう意味では、竹林に対しては、自然と制動がかかる姉妹に対するのとは違って、あの時点での五月の本音(=すでに風太郎ラブ)がダダ漏れしてた、ってこと。
ともあれ、こうして五月が、風太郎ラブに向けて急速にゲージを上げつつある間に、114話で風太郎に選ばれた四葉は、115話から118話までをかけて、一花、二乃、三玖からの了承を得ることに奔走した。
そして、次回の119話以降、ようやくきちんと風太郎と対峙することができるようになった。
裏返すと、いまだに四葉は、京都の子の話をしていない。
もちろん、五月に頼んで零奈を演じてもらった、という話もしていない。
何が言いたいかというと、この四葉がいよいよ過去話をすることになるまでの間に、五月の気持ちが風太郎ラブという点でマックスな状態にまでゲージを引き上げておくことが、115話から118話までの、もう一つの「裏」の役割だったということ。
つまり、四葉も、五月も、いまや「アイム・レディ!」ということ。
そして、ここから、ようやく京都の子のこと、そして「零奈問題」の話題に移るはず。
問題は、誰がどのような状況で、どんなふうに風太郎に伝えるのか?
順当に、四葉が(多分、例の公園でブランコを漕ぎなら)話すのか?
それとも、五月がいたたまれなくなって思わず話してしまうのか?
あるいは、一花がうっかり話してしまうのか?
これは、その手順によっては、話は思い切りこじれるはず。
そして、仮にこの話に日の出祭期間中の竹林もからんでいるとすれば、二乃や三玖が口を挟む可能性もなくはない。
ということで、零奈問題の扱いは、状況を一変させる破壊力を持つはず。
もっとも、零奈問題が、相変わらず不発で終わる可能性もなくはない。
ただ、その場合、四葉は、風太郎に、彼との関係上、最も重要な話を秘匿したまま付き合っていくことになる。
さすがにそんな理不尽な結末にはしないと信じたい。
ということで、119話。
さて、どうなる?
五月って、42話で零奈として風太郎に会ったときに、風太郎から「本当はやればできるのにもったいない」と自分の評価を聞かされた時点で、すでに「落ちて」いるよねw
それに風太郎は風太郎で、すでにこの零奈が五つ子のうちの誰かだとなんとなく気づいているよね。
でも、初めて零奈に出くわした時の風太郎の驚愕ぶりを思い出すだに、風太郎がどれだけ零奈=京都の子を大事にしていたかがわかる。
だって、あの時、零奈に「さよなら」と言われてマジで落ち込んだわけで、その落ち込みぶりは、当時はまだ険悪な仲だった二乃を真剣に心配させるくらいの酷さだったのだから。
なにしろ、風太郎から零奈の顛末を聞いた二乃は、あの時、号泣してたからね。
だから、あの時の風太郎を泣かせた零奈が、実は、オリジナルの京都の子である四葉が、五月に頼んでやらせた芝居だった、なんてことが発覚したら、これ、いまや「フーくん愛」の結晶である二乃からすれば、そして正義ガールである二乃からすれば、もう四葉とは絶好、というレベルを超えて、殺意を覚えるレベルじゃないの?
ということで、どう考えても、零奈問題は、この先の土壇場の展開で、ものすごい爆弾になるはず。
もちろん、五つ子だけでなく、風太郎も含めてね。
それに、正直なところ、実はだんだん、この数話の、いつになく四葉が自分自身のことを語っているところを見続けた結果、あれれ、もしかして四葉って、実は腹黒?という気もしてきていて。
それは、四葉の過去話を扱った89話で、その時通っていた高校の講堂でバスケかなにかで優勝したことで全校生徒に紹介されている場面で、
「私が姉妹で一番なんだ!特別なんだ!」
っていってる場面を思い出してしまったからなのだけど。
つまり、四葉の本質って、どこまでいっても「自己チュー」の、自分が一番大事な子なんだよね、きっと。
もちろん、その後の自分の不始末で、姉妹まで含めて転校しなくちゃいけなくなったことをきっかけに、今度は「姉妹が一番!」の子になったわけだけど、それも「自分の居場所を作る」という点で「自己チュー」であることは変わらない。
要するに、姉妹の中で、実は、三玖以上に、コミュ障の困ったちゃんが四葉。
そして、それが高じて、天然に「腹黒」な所作に及んでしまう。
これ、天然だけに、始末が悪くて。
オルタ一花さんなんて、目じゃないくらい。
いや、だってさ、冷静に考えたら、そもそも零奈という架空キャラを出さなきゃいけなくなった理由って、今の自分が恥ずかしくて風太郎に直接名乗りあげることができない、ということでしょ?
だったら、ただ黙っていればいいんだよ。
それを(当時の)五月が、風太郎に対して最も中立的であることをいいことに、彼女に頼んで「さよなら」とわざわざ伝えさせるのだから。
これって、いろいろな意味で、他人の気持ちが全然わかってない。
というか、他人の心を踏みにじっている。
もちろん、それくらい四葉が悩んでいたことはわかる。
でもね、それなら彼女は、ひとり遠くから風太郎を眺めていればいいんだよ。
だけど、今のように、表舞台に立たされてしまったときに振り返ると、あれれ、なにそれ、キモ!、それはないわ―、って類のヤバさ、だよね。
だから、四葉推しの人に悪いけれど、この数話の四葉の行動は、こじらせすぎている、という点ではドン引きしてしまうレベルにまで達していると思う。
でもまぁ、四葉のことはこれくらいにして、もとに戻るとして、
118話で一番気になったのは、なぜ、いまさら、零奈(=五月)のお守りの「中身」のことを思い出させるわけ?ってこと。
しかも、あのお守りは、50話で風太郎が川に落ちた時になくしてしまったわけで。風太郎からしたら、もう確認のしようがないもので。
あの中身は何なの?
あの中身が、最終局面で重要になるものなの?
まさか118話の最後で見せた、五月のスマホの裏面に貼ってあるプリクラじゃないよね?
というか、118話で五月が風太郎にスマホを貸すのを躊躇ったのって、裏面にこのプリクラが貼ってあることがバレちゃうからだよね?
いやだから、118話の最後で、いずれも五月が関わった
零奈
お守り
プリクラ
なんてこの物語の上でめちゃくちゃ大事な出来事を、三連チャンで畳み掛けるように、この期に及んで読者に思い出ささせておいて、
その上で、最後のページで、風太郎に、まるでもう(恋人であるのを通り越して)夫婦であるかのように、寄り添うように座っている姿を見せられて、そのうえ、
「上杉君、おめでとう」
といわれて、ハイ、そうですか、で終わるはずないでしょ?
これは、もう、ただただ、五月のゲージが目一杯触れていることの表現でしかない。
だから、繰り返しになるけど、この3つの出来事の畳み掛けで示されたことは、物語当初では、というよりも林間学校の頃には、父親嫌いから男性嫌いの気があった五月が、日の出祭以降、風太郎に対する意識の封印をどんどん次々と破ってきているのであって、それが今回でマックス!に達したということ。
だって、五月はとうとう明確に恋心を自覚した上で、四葉を思って「引く」決意をしたのだから。
だからこそ、今思えば、確かに日の出祭の時、五月には、無堂という実父の負わせた枷を外すエピソードが必要だったことになる。
あのとき、最初に無堂が現れたときは、なんでこの「風太郎が五つ子の一人を選ぶ」なんて一大イベントが控えている時に、五月だけ、こんなハゲオヤジの相手をしなくちゃいけないの? って、真剣に思ったけど。
でも、あれは、むしろ、今、五月が末脚を発揮して、風太郎ラブマックスとなるために必要な、まずは突破すべき第一の関門だったんだよ。
あれで初めて五月は、父親嫌いに発した男性不信から解放されたのだから。
しかも、その不信を取り除いてくれたのが風太郎なのだから。
これで惚れないわけがないじゃない?
五月にとっては、あの時が、始まりだったんだよ。
もちろん、それまでに、風太郎ならびに上杉家とは長いお付き合い、それに竹林に対して啖呵を切るくらい「深い」お付き合いがあったわけだけど、でも、それを恋心と認識するには、父親嫌い=男性不信、という障害が邪魔していた。
そういう意味では、竹林に対しては、自然と制動がかかる姉妹に対するのとは違って、あの時点での五月の本音(=すでに風太郎ラブ)がダダ漏れしてた、ってこと。
ともあれ、こうして五月が、風太郎ラブに向けて急速にゲージを上げつつある間に、114話で風太郎に選ばれた四葉は、115話から118話までをかけて、一花、二乃、三玖からの了承を得ることに奔走した。
そして、次回の119話以降、ようやくきちんと風太郎と対峙することができるようになった。
裏返すと、いまだに四葉は、京都の子の話をしていない。
もちろん、五月に頼んで零奈を演じてもらった、という話もしていない。
何が言いたいかというと、この四葉がいよいよ過去話をすることになるまでの間に、五月の気持ちが風太郎ラブという点でマックスな状態にまでゲージを引き上げておくことが、115話から118話までの、もう一つの「裏」の役割だったということ。
つまり、四葉も、五月も、いまや「アイム・レディ!」ということ。
そして、ここから、ようやく京都の子のこと、そして「零奈問題」の話題に移るはず。
問題は、誰がどのような状況で、どんなふうに風太郎に伝えるのか?
順当に、四葉が(多分、例の公園でブランコを漕ぎなら)話すのか?
それとも、五月がいたたまれなくなって思わず話してしまうのか?
あるいは、一花がうっかり話してしまうのか?
これは、その手順によっては、話は思い切りこじれるはず。
そして、仮にこの話に日の出祭期間中の竹林もからんでいるとすれば、二乃や三玖が口を挟む可能性もなくはない。
ということで、零奈問題の扱いは、状況を一変させる破壊力を持つはず。
もっとも、零奈問題が、相変わらず不発で終わる可能性もなくはない。
ただ、その場合、四葉は、風太郎に、彼との関係上、最も重要な話を秘匿したまま付き合っていくことになる。
さすがにそんな理不尽な結末にはしないと信じたい。
ということで、119話。
さて、どうなる?