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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

劇場版『冴えない彼女の育て方 Fine』 感想: これは「2次元への愛」のあり方を「3次元での愛」を踏み台にして描ききったラブコメの傑作!

2020-09-24 11:45:37 | 冴えカノ
ようやくブルーレイになったので、『冴えカノ』の最終章を見た。

いやー、よかった!

前から期待していた、恵の「メインヒロインルート」は、あぁ、そうそう、こういうのを見たかったんだよ!ってとても強く思ったw

普通だけど、業の深い女子っているよね、ってw

でもさぁ、そもそも『冴えカノ』って物語は、もともとメタフィクション的要素が強くて、たしかに英梨々にしても詩羽先輩にしても、ゲームやラノベの中からいるよね、というテンプレ・キャラなんだよね。

だから、その2人に重度のオタクの倫也がとにかく惹かれる、というのは、ホント、ただのオタクの習性が投影されているだけのことで。

その確信的に2次元的キャラとして設定された英梨々と詩羽先輩と、もとから現実世界で隣りにいてくれる3次元の恵は、だから、設定の段階で、異なる次元の存在として、すでに描き分けられていたわけで。

その根本的な初期設定の違いが、この映画版では非常にクリアに描かれていた。

いや、もっとざっくり言えば、要するに、英梨々と詩羽先輩は2次元の世界の創造神キャラで、その2柱が倫也の前に現界して今いるのだ、という方が正しい。

だから、仮に、倫也が恵と恋仲になっても、倫也は、いつまでも英梨々と詩羽先輩のことを、愛すべきキャラクターとして追い求め続けることができるし、そこは実は物語の始めから全然変わっていない。

つまり、倫也は、最初から、求め恋い焦がれる対象として捉えるという意味で、英梨々と詩羽先輩のことを「愛して」いたんだよね。

だから、この劇場版の中で変わったのは、そうした倫也と英梨々&詩羽先輩の関係のあり方にようやくきづくことのできた恵の方だったってことで。

つまりは、一般人代表が、オタクの持つ「キャラへの愛情」を理解し受け止めることができた、ということ。

その「2次元キャラに向ける愛情」と「人間である自分=恵に向ける愛情」は両立しうるものである、ということに、恵が気づくことができた、という話。

同時に、倫也もそのことを自覚したという話。

なので、倫也と恵は、最終的に付き合って、婚約まですることになる。

それだけでなく、恵は、倫也の「創造のパートナー」として彼の傍らに立ち続けることを選んだ。

まぁ、要するに、加藤ちゃんは倫理くんに感化されちゃったんだよ、染められちゃったんだよw

でも、一旦染められちゃったら、2次元への愛と3次元への愛は互いに独立して共存しうるものとして認めることができる、ってわかってしまったら、英梨々と詩羽先輩のことを、恵も許せるようになってしまったってことだよね。

だって、英梨々も詩羽先輩も、かしましい妖精さんでしかないからw

で、そんな創造神で妖精さんである英梨々&詩羽先輩からすれば、今度は倫也を、同じく創造神の世界に引き寄せてしまえば、その中でいくらでも(それこそ恵公認でw)、彼との間で愛を交わすことができる。

だから、倫也は最後の場面で、高校時代のようなプロデューサーではなく、ゲームの「シナリオライター」になっていた。

彼もまた、英梨々や詩羽先輩と同じ「創造神」の地平に立つことを選んだわけで。

で、恵は、その創造神の活動を現実世界から支える「ディレクター」を引き受けることになった。

なので、これは、事実上、倫也が、3次元で恵を、2次元で英梨々&詩羽先輩の、都合3人を嫁にした、ということに等しい結果なのだ。

いやー、素晴らしい構図だね。

ここまで、美しく「2次元への愛」を描くことのできた作品ってないんじゃないかな。

しかも、ちゃんと「3次元での愛」を踏み台にして、そことの関係性までちゃんと明らかにした、という点で。

マジ、傑作だよ。


で、そのためにも、この劇場版、というか『冴えカノ』という物語で大事だったことは、倫也が、コンテントを消費するだけのヌルオタではなく、みずから作り手になろうとするキモオタであることが、極めて重要だったことになる。

創ることで、初めて2次元への愛は完成する、ということ。

そうした作り手たちの「創造に向けた情念」、すなわち妄想を、失わせてはいけない、というもので。

要は、「欲望せよ、されば与えられん」ってことで。

その一点で、この作品は、2010年代以後の、ソシャゲで課金されて巻き上げられることが楽しいと思う程度の新興のヌルオタたちを徹底的に批判している。

で、作中でのそうした批判者の急先鋒が、紅坂朱音なわけで。

彼女が倫也に対して、オナニー、オナニー、と連呼するところは、さすがに苦笑せざるを得ないわけだけど、でも、あの場面が、この作品の、映画だけでなく、全物語を少チョするアルファでありオメガであった、ということだよね。

創造とは、自らを愛撫するオナニーであって、それをとことん徹底せよ!ということで。

あの紅坂朱音は作者・丸戸史明の分身だよね。

いやー、丸戸史明、マジで業が深いw

でもその分、この物語の細部まで、心地よい緊張感を伴いながら見ることができる。

そして、「2次元への愛」を理解してくれる3次元の恋人、最後にはパートナーとなった「加藤恵」がどれだけ、作者の妄想の結晶であるかもw

でもこれもまぁ、一種のオタクバッシングに対する内省から生まれた、理解ある3次元の女子、ということで。

うーん、深いなぁ。

多分、多くの自称キモオタの心を、そういうフレーム=妄想が揺さぶったからこそ、結構なヒットになったのだろうなぁ、と納得。

で、よく見たら、この劇場版って、公開は去年の10月だから、もう1年も前のことなのだけど。

でも今書いたように、そこで表されていることが、2次元への愛、つまりは、およそ人間の創作物である人工物にはすべて当てはまる愛のことを扱っているから、全く古い気がしない。

だって、要するに、芸術全般に対する愛のことを扱っているのだから。

で、その芸術愛には、勇気を奮って自ら「創造」の世界に踏み入ることが不可欠だ、と言っているわけでしょ。

いやー、マジでこれ、傑作じゃないかな。

もっと称賛されて然るべき作品であることに気がついた。

マーベラス!!!

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冴えない彼女の育て方♭ 第11話 『再起と新規のゲームスタート』

2017-06-23 14:54:22 | 冴えカノ
最初は期待しないで、あぁ、2期なのね、という感じだったのだけど、
とりあえず、8話の加藤無双w回で、おお!と期待が高まったのだが、
最後はちょっと無難すぎたかな、という感じ。

1期と違って、最後に「おしまい」ってあったけど、これで終わりなのかね?
ちなみに、原作は未読。
このあと、原作では高2の「リベンジ」物語があるようだけど、それはやらないのかな。。。
できれば、続きが見たいところだけどね。

いや、8話でおお!と思ったのは、もちろん、加藤無双がすごかったからなのだけど、それだけでなく、倫也が次につくろうとする作品のタイトルが、この物語のタイトルそのままの『冴えない彼女の育て方』であったところだったので、是非、その作品を作る過程を見たかった。

だってさ、それって、倫也たちが、自分たちのゲームづくりをしながら、実際に彼らの物語(要するにラノベとしての『冴えない彼女の育て方』)を同時に作っていく、ということでしょ?
つまり、原作未読だから多分だけど、ゲームシナリオを創りながら、実際に彼らの現実の恋物語がパラレルに展開していく、ということだよね。

で、この作中ゲームが作品物語の展開に干渉する、という構図は、単純に面白いなぁ、と思ったんだよね。
てか、だから、恵が「メインヒロイン」という「役職」だったのか、と合点がいって。

そういえば、今回の最終回で、倫也と恵が、ゲームづくりのきっかけとなった坂に戻ってきたところで、今までのあれこれを思い出して倫也が泣き出したところがあったけど、あの場面はよかったよね。

泣きじゃくる倫也のもとに、恵が近づいてきて、あぁ、ここ抱きしめるよね、と思ったところで、恵が思いとどまる場面。

あそこは、恵自身、抱きしめようと一度は思ったにもかかわらず、思いとどまったというのがいいなぁ、と。

だって、あそこは、恵が、自分が倫也にとっての「メインヒロイン」を演じているのか、それとも自分の本心で倫也に好意を抱いているのか、判断がつかない、ってことだよね。

もちろん、英梨々との、つまり友だちとの葛藤、もあったのだろうけど。

ともあれ、ある役を演じているはずだった自分が、その役にそのままなりきってしまい、それがむしろ自分自身になってしまう、というのは、あえていえば、良質の読書体験の比喩にも見えて面白いなぁ、と。

そして、この演じていたことがホントのことになる、という力学は、きっと原作タイトルと同名のゲームを作中で創ることになる高2の物語で、恵に限らず、そこかしこでみられるようになるのだろうな。

要するに「嘘がホントになる」ってことだから。

で、その「揺れ」を全登場人物に感じられるのなら、それは面白いし、名作になるだろうな、と思った。

ただ、そういう微妙さの表現は、やっぱり文字の小説の方が適しているのかもしれない、とも同時に思った。

だから、そういう繊細さをちゃんと映像でも表現してくれるなら、3期があってほしいけど、それが無理なら、多分コケてしまうだろうから、辞めたほうがいいのかもしれない。

この先の物語のそういう「微妙さ」も考慮して、今回の最終回のような展開で、一旦、オチを付けたのかもしれない。

まぁ、この手の作品は、オチが難しいのは確かだから。
(そういえば、「俺ガイル」とかどうなってんだろう?)

そういう意味では、あの時折挟み込まれる、パステル調の画面は、うまかったな、と思う。1期の頃からの表現だけど、あれのお陰で、登場人物たちそれぞれのその場面での「想い」に見る側の想像が向かうことになって、いい心理的「溜め」、というか余韻が生まれていたと思う。

ああいう感じで、3期の表現が検討されるといいんだけどね。

ともあれ、終わってしまった。。。
ちょっと残念ではあるなぁ、やっぱり。
8話の恵は、反則技だったからなぁ。。。

で、その後に続いた、英梨々+詩羽に対する引き抜き騒動には、えー???、と目が点になったのだけど、しかし、よくよく考えると、王道だよね。

できるキャラは、キャリアアップと言うかたちで主人公のそばを離れ、後には、主人公を等身大のまま見てくれる「ヒロイン」が残る、って、それこそ柴門ふみ以来の王道だからね。

それに、こういう展開だと、たとえば英梨々ファンは、倫也みたいなクソ主人公に英梨々をとられるよりも、英梨々には仕事を選ぶ孤高のイラストレーターに留まってくれたほうが、きっと自分たちにとっても都合がいいってことになるよね。

ということで、いわばそれぞれのヒロインのキャラ属性に応じた、しかし、八方丸く収まるかたちのエンドで上手いなぁ、とも思ったけど。
まぁ、霞ヶ丘先輩は、進んで愛人ポジションを選んだわけですがw

ともあれ、面白かった。
これで終わっても満足だし、3期があるなら期待したい。

あーというか、恵、英梨々、詩羽、・・・、というこの座組で、また異なる物語を見てみたい気もするかも。

倫也の存在を外して、むしろ、10年後の社会人編とかも見てみたいけどね。
もちろん、皆、それなりのクリエイターになっているというシチュだけど。
あ、でもそれじゃ、SHIROBAKOかw

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