過去編が決着か、と思ったそばからあっという間の最終回。
正直、直近の4回分くらいは、いささか駆け足にすぎないか?とは思うものの、今回のラストには素直に満足できた。
そもそも、この過去編自体、だいぶ前から、女神編の長いエピローグみたいなものだと思っていたので、最後の最後で、女神編で不幸にも狂言回しの役割をあてがわれてしまった「ちひろ」に焦点があたったのは至極真っ当な幕引きだと思う。
というか、この「ちひろエンディング」がなかったら、過去編なんかやる意味なかったわけで。なぜなら、過去編は、女神編の事件が生じる「起源」をつくりに行く物語なわけだから。いわば、その事件の予期せぬ精神的被害者となった「ちひろ」に対する贖罪の物語だったわけだから。
もちろん、最後の最後で、ユピテルの姉妹から誰か一人を選ぶことなんて、どう考えてもできなかったわけだから、今回作中で桂馬自身が述べている通り、彼女たち以外の誰かを選ぶことでユピテルの姉妹(とその宿主)たちを「解放」させてあげる意味はあったのだと思う。
まぁ、この作品のズルいところは、そういう作者のメタな意図を、作中人物である桂馬の台詞を通してベタに語ってしまうところだけどw それにしたって、ここまでの流れがあるから、そんなには気にならない。
もっとも、最後の天理の扱いは賛否両論あるのだろうな、とは思う。過去編であれだけ桂馬に引き回され、その後、10年?にわたって、この桂馬とのミッションを行うことをずっと抱え込んできたわけだから、天理に対しても何らかの「報酬」はあるべきだとは感じるよね。なにしろ、桂馬は、天理の桂馬に対する気持ちを知っていながら、というか、知っているからこそ、彼女に対して、時間を超えたメッセンジャーの役割を託したわけだから。だから、この点では、確実に、桂馬は「ひとでなし」だよね。
ただ、そのひとでなしっぷりも、今回の事件の大きさを考えればやむなき、ということになるし、天理自身の経験からすれば、過去編において桂馬のバディを務めることができたのだから、それでよかった、ってことになるのだろうな。もっとも、その言い訳は主には読者に対するものだろうけどw
それに、多分、天理のケアは、どくろうが行っているのだろうし。
多分、桂馬と別れた後のどくろう=二階堂先生は、天理と合流しているのだろう。
そう思うと、もしも次にスピンオフがあるとしたら、この天理/どくろうペアなんだろうな、と思う。
というのも、これは、前の女神編の最後もそうだったけど、今回の過去編は、結局のところ、桂馬の物語についての決着でしかなくて、新地獄の方の話はすっ飛ばされていたわけで。
(新地獄の騒動は、あくまでも、この神のみの話の「背景」に過ぎない。その点を、無駄に書き込むことなくさらっとやり過ごしたのは、作者の選択としては正解だったと思う。)
いや、最終回にハクアが出てこないのはあまりに可哀想だしw、
リューネさんがこのままフェイドアウトするとは思えないし。
あと、過去編の、いやーな女の子(名前忘れたw)もそのまま放置だし。
そもそも、どくろうとリューネは最後の最後で因縁ができてしまったわけで。
なので、この後、新地獄編のような方向のスピンオフがあるんじゃないかな。
もっとも、その方向が面白いかどうかは微妙だけどw
神のみ、の面白かったところは「ゲーム攻略」というフレームを徹頭徹尾物語の枠組みとして採用したところにあったわけで。だからこそ、最後の、過去編のような、どう考えても無茶だろ?それ?、という「過去における自作自演のゲーム設定の仕込み」も可能になったわけで。というか、いきなりそんな話の展開になっても無理があるようにはみえなかった。むしろ、当然な、自然な流れのように取ることができた。
なんていうか、設定だけなら、まんま「ターミネーター」なんだけどねw
まぁ、そういう「ゲーム的設定」が前提だからこそ、そうした設定を無視して物語をひっ繰り回す役としての、イレギュラーというか、ノイズとしてのちひろが生きてしまったわけで。桂馬のシナリオを無視して勝手に動き出してしまったわけでw
となると、ある意味で、最後でちひろが選択されるところは、論理的に正しい解なんだよね。
それに、だからこそ、その「正しい解」で一旦物語を締めてから、しかし、その後の桂馬を巡って、普通にちひろと歩美が競り合う、ってことをするのかもしれない。
そういう意味で、この物語は、桂馬だけでなく登場人物たち全員が「攻略ゲーム」を卒業する物語なわけだから。
とはいえ、そこから先の話は、もはやラブコメですらない、本当のリアルワールドの恋愛物語になるわけで、それをこの神のみの作者が自ら書くかというと・・・、多分ないだろう。
そういう意味でも、今回の終わりは良かったんじゃないかな。
最終兵器エルシーのリアル妹化とか、二階堂先生の正体が「どくろう」であったとか、正直、えー?、マジで?、という、少しばかり取ってつけたようなバレもなかったわけではなかったけど、でも、それらのいささか唐突なバレも、まぁ、そう言われれば納得できなくはない、と思えるくらいの描写は今までもされてきていたので、むしろ、作者、うまく畳んだなー、と思ったくらい。
ともあれ、前にここでも書いたとおり、女神編の最後を、ちひろのアンチヒロインで締めたところは、物語的にうまいな~、と思っていたので、そこで桂馬が受けた傷を、この過去編を通じて癒やさせてあげたのはホントに上手いな、と思ったのでした。
うん、いいお話だった。
女神編は既にアニメ化されているので、次にアニメ化するならこの過去編なのだろうけど、正直、アニメにするには鬱な展開が多いから、映像化はあってもなくてもいい、って感じかな。
そういう意味では、神のみ、自体は、女神編で物語としては既に完結していたってことで。過去編は、むしろ、その背後にあった「仕掛け」を実際に経験していくための、長いエピローグだった、という理解でいいのだと思う。
それにしても、ちひろがここまで物語のキーパースンになるとは思ってなかった。ホント、ステルスのような存在w
でもまぁさぁ、女神編の最後で、彼女にも、ユピテルの女神たちのもつ、天使の羽が見えたわけだから、落ち着くべきところに落ち着いた終幕だった、ってことで。
いやー、満足。
面白かった。
しかし、これでサンデーも読むものがなくなってしまったな・・・
正直、直近の4回分くらいは、いささか駆け足にすぎないか?とは思うものの、今回のラストには素直に満足できた。
そもそも、この過去編自体、だいぶ前から、女神編の長いエピローグみたいなものだと思っていたので、最後の最後で、女神編で不幸にも狂言回しの役割をあてがわれてしまった「ちひろ」に焦点があたったのは至極真っ当な幕引きだと思う。
というか、この「ちひろエンディング」がなかったら、過去編なんかやる意味なかったわけで。なぜなら、過去編は、女神編の事件が生じる「起源」をつくりに行く物語なわけだから。いわば、その事件の予期せぬ精神的被害者となった「ちひろ」に対する贖罪の物語だったわけだから。
もちろん、最後の最後で、ユピテルの姉妹から誰か一人を選ぶことなんて、どう考えてもできなかったわけだから、今回作中で桂馬自身が述べている通り、彼女たち以外の誰かを選ぶことでユピテルの姉妹(とその宿主)たちを「解放」させてあげる意味はあったのだと思う。
まぁ、この作品のズルいところは、そういう作者のメタな意図を、作中人物である桂馬の台詞を通してベタに語ってしまうところだけどw それにしたって、ここまでの流れがあるから、そんなには気にならない。
もっとも、最後の天理の扱いは賛否両論あるのだろうな、とは思う。過去編であれだけ桂馬に引き回され、その後、10年?にわたって、この桂馬とのミッションを行うことをずっと抱え込んできたわけだから、天理に対しても何らかの「報酬」はあるべきだとは感じるよね。なにしろ、桂馬は、天理の桂馬に対する気持ちを知っていながら、というか、知っているからこそ、彼女に対して、時間を超えたメッセンジャーの役割を託したわけだから。だから、この点では、確実に、桂馬は「ひとでなし」だよね。
ただ、そのひとでなしっぷりも、今回の事件の大きさを考えればやむなき、ということになるし、天理自身の経験からすれば、過去編において桂馬のバディを務めることができたのだから、それでよかった、ってことになるのだろうな。もっとも、その言い訳は主には読者に対するものだろうけどw
それに、多分、天理のケアは、どくろうが行っているのだろうし。
多分、桂馬と別れた後のどくろう=二階堂先生は、天理と合流しているのだろう。
そう思うと、もしも次にスピンオフがあるとしたら、この天理/どくろうペアなんだろうな、と思う。
というのも、これは、前の女神編の最後もそうだったけど、今回の過去編は、結局のところ、桂馬の物語についての決着でしかなくて、新地獄の方の話はすっ飛ばされていたわけで。
(新地獄の騒動は、あくまでも、この神のみの話の「背景」に過ぎない。その点を、無駄に書き込むことなくさらっとやり過ごしたのは、作者の選択としては正解だったと思う。)
いや、最終回にハクアが出てこないのはあまりに可哀想だしw、
リューネさんがこのままフェイドアウトするとは思えないし。
あと、過去編の、いやーな女の子(名前忘れたw)もそのまま放置だし。
そもそも、どくろうとリューネは最後の最後で因縁ができてしまったわけで。
なので、この後、新地獄編のような方向のスピンオフがあるんじゃないかな。
もっとも、その方向が面白いかどうかは微妙だけどw
神のみ、の面白かったところは「ゲーム攻略」というフレームを徹頭徹尾物語の枠組みとして採用したところにあったわけで。だからこそ、最後の、過去編のような、どう考えても無茶だろ?それ?、という「過去における自作自演のゲーム設定の仕込み」も可能になったわけで。というか、いきなりそんな話の展開になっても無理があるようにはみえなかった。むしろ、当然な、自然な流れのように取ることができた。
なんていうか、設定だけなら、まんま「ターミネーター」なんだけどねw
まぁ、そういう「ゲーム的設定」が前提だからこそ、そうした設定を無視して物語をひっ繰り回す役としての、イレギュラーというか、ノイズとしてのちひろが生きてしまったわけで。桂馬のシナリオを無視して勝手に動き出してしまったわけでw
となると、ある意味で、最後でちひろが選択されるところは、論理的に正しい解なんだよね。
それに、だからこそ、その「正しい解」で一旦物語を締めてから、しかし、その後の桂馬を巡って、普通にちひろと歩美が競り合う、ってことをするのかもしれない。
そういう意味で、この物語は、桂馬だけでなく登場人物たち全員が「攻略ゲーム」を卒業する物語なわけだから。
とはいえ、そこから先の話は、もはやラブコメですらない、本当のリアルワールドの恋愛物語になるわけで、それをこの神のみの作者が自ら書くかというと・・・、多分ないだろう。
そういう意味でも、今回の終わりは良かったんじゃないかな。
最終兵器エルシーのリアル妹化とか、二階堂先生の正体が「どくろう」であったとか、正直、えー?、マジで?、という、少しばかり取ってつけたようなバレもなかったわけではなかったけど、でも、それらのいささか唐突なバレも、まぁ、そう言われれば納得できなくはない、と思えるくらいの描写は今までもされてきていたので、むしろ、作者、うまく畳んだなー、と思ったくらい。
ともあれ、前にここでも書いたとおり、女神編の最後を、ちひろのアンチヒロインで締めたところは、物語的にうまいな~、と思っていたので、そこで桂馬が受けた傷を、この過去編を通じて癒やさせてあげたのはホントに上手いな、と思ったのでした。
うん、いいお話だった。
女神編は既にアニメ化されているので、次にアニメ化するならこの過去編なのだろうけど、正直、アニメにするには鬱な展開が多いから、映像化はあってもなくてもいい、って感じかな。
そういう意味では、神のみ、自体は、女神編で物語としては既に完結していたってことで。過去編は、むしろ、その背後にあった「仕掛け」を実際に経験していくための、長いエピローグだった、という理解でいいのだと思う。
それにしても、ちひろがここまで物語のキーパースンになるとは思ってなかった。ホント、ステルスのような存在w
でもまぁさぁ、女神編の最後で、彼女にも、ユピテルの女神たちのもつ、天使の羽が見えたわけだから、落ち着くべきところに落ち着いた終幕だった、ってことで。
いやー、満足。
面白かった。
しかし、これでサンデーも読むものがなくなってしまったな・・・