matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

甲府城跡(舞鶴城公園)

2017-08-31 10:45:37 | 日本100名城




 甲府

 甲府駅南口から徒歩約5分に舞鶴城公
園はあります。

現在舞鶴城公園として親しまれている
甲府城跡。

約6ヘクタールが都市公園となっていま
すが、かつては20ヘクタールほどの広
大な城郭でした。



1582年(天正10年)、甲斐の国は
武田氏の滅亡後、織田信長の領国となり
ましたが、同年の本能寺の変の後は徳川
家康の支配をうけました。

1590年(天正18年)、豊臣秀吉が
北条氏を倒し日本統一を成し遂げると、
東海・甲斐・信濃を支配する家康を関八
州に移封しました。


 (内松陰門)

秀吉は関東の家康を見張る城として、
甲府城を築城しました。

秀吉は1598年に病死しますが、城が
完成していたかどうかは不明です。

1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦い
以後甲斐は徳川家の直轄地となり、将軍
家一門が城主となりました。


 (天守台)

明治になると、甲府城は廃城となり主な
建物は破壊されました。

中央線の開通と甲府駅(甲府城清水曲輪
跡にあたる)の開業により、城跡は分断
されました。


 (天守台からの眺め)

天守台は当時のままに残っていますが、
天守が建てられていたかは不明です。

1706年(宝永3年)に甲斐国を訪れ
た荻生徂徠が「峡中紀行」において、
甲府城天守は存在しなかったとする証言
を残しているそうです。


 (稲荷櫓)

江戸時代には武具蔵として使われていた
建物です。

2003年に絵図や史料などをもとに
復元されました。



甲府城では発掘調査で金箔のついた瓦が
数多く発見されました。金箔をつけた瓦
で屋根を飾るのは、織田・豊臣が築城し
たお城の特徴です。

舞鶴城という名称はいつのころからか、
白壁が重なりあう優雅な姿から、鶴が
舞う雄大な姿を連想してつけられたも
のと考えられています。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2017-09-06 15:01:14
お城はこじんまり、でも駅前すぐのお城からのながめはいいですね。

武田氏館跡の堅固な雰囲気の武田神社のほうが、まっすぐ伸びる参道と共に、
当時の信玄の威光を感じました。

やはり甲斐の国は武田信玄。
甲府も山梨県も、地味だけど観光含めて魅力たっぷりと、何度も甲府近辺へ
行って、そのよさをPRしたいです。
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