だいありぃ。

くろねこのつれづれなるにちじょう。

次の瞬間には

2015-06-06 21:08:17 | 日常。
 司馬遼太郎「竜馬がゆく」の初めのほうのエピソードだったと思いますが、いま手元に本がないのでうろ覚え(まえ書いたかもなんだけど、見当たらないから書く)。

 今この瞬間に頭上から岩が落ちてくる、それをうろたえずに泰然と受け止め、そして死ぬ、それを想像しながら生きる。少年時代の坂本竜馬(司馬遼太郎版の)がやっていた精神鍛錬、それはもう大人になってからはやってないが、どこかで彼は「岩」を意識し続けていたのかもしれない、というような。


 まぁ男の子らしい空想ですな、と三十路の今は思いますが、一方で、でもなんか妙に感銘を受けて、ずっとそれを考え続けている気もします。
 漫画「イキガミ」にも通じるところがありますが、はい、じゃあなたの寿命これで終わり、となったときに、何を考えてどうするのか?

 やり残したことはいっぱいある。仕事もまだまだだし、子供も欲しいし、何より旦那と別居が長すぎて一緒に暮らして、、、やりたいことはたくさんあるし。死んでも死に切れん、ともいえる。


 が、その日っていつ来るかわからんし、その時に少なくとも、楽しかった、やれることはやった、力いっぱい生きたと胸張って言える人間でありたい、という思いはある。私は決して勤勉でもマメな人間でもないので、あぁ一日ネットサーフィンなんかやらずにもっと実のあることをやればよかったのに、なんて思う日はしょっちゅうだけど、そういうことではなくて。

 たとえば、大恩ある人に楯突いてイラつかせたままで、一言謝れば済んだのに、とか。
 夢があったとして、それを何もしないままずっと先延ばしにして愚痴ばかり言っていたり。
 誰かと喧嘩してお互い気まずかったり。

 そんな、ちょっと一歩踏み出せば済んだのに、、、ってことをできるだけなくしていきたい、とか。

 逆に、些細なことは気にしないとか。明日死ぬかもしれないのに、誰かがちょっと感じ悪いとか、ちょっと物事が思ったようにいかないとか、そんなのに腹を立てる方が時間とエネルギーの無駄だから。
・・・とはいえ、イラッとすることはそれなりにあるし、蓄積されると「嫌っ!」が憤然と湧き起って制御の仕様もなくなるという、困った性格でもあるのだが、、、嫌いになったら徹底的に嫌いになるタイプである

 そんなことをふと思う、北ドイツの短夜でございました。
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