だいありぃ。

くろねこのつれづれなるにちじょう。

頼るものがほしい時代に。

2024-01-28 15:29:11 | 日常。
昔、某ポップ・ミュージシャンのライブ映像をみてて、あ、これ、シャーマンだ。と思ったことがあって。

舞台に上がり、うたい、踊り、周りを巻き込んで気分を高揚させ。

BGMとしてはいいけど、そこまでのめり込めないなー、、と思った訳ですけど。

それから早10数年、SNSとかで誰でも発信だけならできる時代になったわけだけど、びっくりするほどそこかしこに「そういうコミュニティ」ができてて、信者?みたいな?感じ?になってて、えーすごいなー、、

って思ったんだけど、たぶんなにかにすがりたい人って割といっぱいいるんかなぁと。

昔は神様仏様だったのが、なんとなーくファッショナブルじゃないからか、生身の人間に見えるシャーマンたちに傾倒するんだろうか、なんて思うと少し理解できるような気がする。

「見える」としたのは、当然だけどSNSなんてみんな見せたいように見せるわけだから、見てるのは理想化されたシャーマンの姿であって生身ではないということで。

こういうのがオシャレだよ、かっこいいよ、素敵だよと全身で、生活で、発信する言葉で見せて、それを良いと思う人は、縋るという言葉が強すぎるならば、その価値観を共有していく、という。

オンラインサロンブームもそうだと思うけど、その「人」をフォローしていくことで安心できるというか、その人をコピーすることによって安心するというか、そういう心の働きってあるんだろうな、、

私は生来なのか育ちなのか、人をフォローすることで安心する的な心理になったことがないので、全然わかんなくてここまで来たわけだけど。(笑)

本を読むのは好きだったから、児童書から始まって小学校高学年くらいからは大人向けの時代小説とかも読んでたし、ひたすら本からいろんな価値観を吸収し続けたというのは多分あって、わりと左右されやすい子だったからバトルものを読んでたら性格が荒くなったりとか、わかりやすいところで影響受けたりもしたけど、それだけ雑食してると「アレ?これとこれ矛盾してないか?」「いや、んなわけ無いやろ」みたいなことも多々あるし、その中から自分の感覚と近いものを残していって、更に海外生活を経たり、子供できて本読めなくなった(=気合い入れて重めの本を上中下通して休日潰すような読み方ができない)上に自分の優先順位が変わったり、そうやって感覚変わったところも多々あるから、たぶん私はかなりオリジナリティ溢れる人間だろう(笑)。


閑話休題。

いまそうやってシャーマンが乱立して、しかも流行り廃りでわりと栄枯盛衰華やかなりし時代、ということはですよ。

みんな、コレ!って信じられるものがないから、不安な時代なんだろうな。

シャーマンというかみんなの価値観の中心にあるのは、中世までは宗教だったし、近代は科学だったり経済学だったりしたわけだけど、どれもなんか胡散臭い気がする。

経済学の論理って私もちょこっと匂い嗅いだ程度だけど、1800年代のアメリカがベースになってるんで、基礎理論からして現代日本ではあんま合ってなかったりするし、そもそも資本主義というのは常に新しい市場が必要な形態なので、人口オーナスになった時点で負けがほぼ確定してるし。科学は原爆とかコロナとか引き起こして必ずしも人を幸せにするもんじゃないことはみんな分かってきちゃってるし。

みんなで太陽神を信じられた世界のほうが大多数の人にとっては幸せだったのでは?という気がしないこともないわけだが。。

案外アレかね、人口減少なんかもそういうのが原因になってたりしてね。

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全然関係ないけど、たまに自分の語彙力が普通じゃないことに気づいたりして。

なのに英単語は覚えられないんだよなぁ、くうっ、、
コメント
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