アマゾンのレビューでは(1)ほど面白くはないとされていたが
個人的にはこちらの方が興味深くて一気読みしてしまった
「資本主義、社会主義、民主主義」(2)ヨーゼフ・シュンペーター
著者シュンペーターの名は「創造的破壊」で知られる
それは(1)で紹介されていて、資本主義の発展は絶えざる現状の破壊
イノベーションによってもたらされるというもので
NHKの「欲望の資本主義」でも紹介されていた
だが、記憶に残っているのはもっと別のことで
資本主義の(経営者の)恐れるものは、次の時代が科学等の発展でどうなっていくか?
という未来への不安と、競合他社がどのような手を打ってくるか?
との不安があるという点だ
後者の恐れは現実的で、経験とか想像力のある故だと思われるが
この現実に即した発想とか分析は(2)でも発揮される
特に政治の実態、有権者が大きなテーマには無関心になる傾向や
ことにあたる人の数が多くなると責任感が希薄になるとか
政治は短期の目標に支配されやすいとか
庶民の声は反映されない代表制民主主義の限界
(実態として声は議員が発するものしか存在意義はない)
といったこれらのことは、今まさに起こっている我が国の姿を彷彿とさせる
読書が断片的な印象の集合になるのは仕方ないと最近は開き直っているが
悲しいかな他人に説明できるほどこの本を読み込めてはいない
ただ面白かったという実感は確かに残っていて、
そのページは印もついているから読み返すこともできる
(難しい)本はわかりやすく整理された解説書を読むより
とにかく原典に当たれ!とする考え方がある
分からないために断片的な印象となったとしても
その方が得るものは大きいとしている
その気持はなんとなく分かる
大きな山に悪戦苦闘しているときのほうが、景色を眺めているよりは
充実感を感じるようなものだ
それにしても、社会主義という概念とか、それが生まれた必然性は
もしかしたら日本は根本的に理解できていないのではないか?
と不意に頭に浮かんだ
「輸入された」社会主義という言葉
実感としてそれが人の社会には必要かもしれないとする西欧の段階に
至っていないような気がする
それは社会主義が資本主義と比較して劣っているというより
社会主義は端から否定的に捉える先入観が大きく影響している気がする
この半ば定番化した(固定化した)捉え方を変えるのは
とんでもなく難しいように思えるが、
それができないのは、個人としての人間の内的な試行錯誤(例えば前提を疑うとか)
がなされていないからのように思えてしまう
ということで、いつもの面倒くさい話