パンセ(みたいなものを目指して)

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言葉によるバトル「三島由紀夫VS東大全共闘」

2022年02月03日 10時01分34秒 | あれこれ考えること

大して期待していないで入ったNetflix
プログラムを見ると思いの外興味深いものがある
「なぜ君は総理大臣になれないのか」はその一つだが
他にも「三島由紀夫VS東大全共闘50年目の真実」なんてのが目に入った

三島由紀夫は相性が良くなくて共感することも少ない人物だが
自分らが若いときに行われた、その時代を反映しているような出来事自体は興味がある

この三島由紀夫と東大全共闘の対談は、全く違う価値観の両者が言葉によるバトルを
広げるもので、当時の三島は「楯の会」を設立していて、全共闘もかなり過激な
行動をとりがちな存在だった
大勢の学生の中に一人で乗り込んだ三島由紀夫も度胸があるが
実際は何かあるといけないので楯の会のメンバーも潜入していたらしい

なかなか緊張感のあるバトルだが、ときに笑いも漏れる
学生側がつい敵である相手を「三島先生」と呼んでしまったのは、
彼らのプライドからすれば恥ずべきことだったかもしれないが
話の流れを見ているとそう呼んでしまうのは
無理のない必然のような気がした

言葉によるバトルは相手の尊厳を認めることから始まる
三島も「諸君らの熱情は信じる」と言ったのはこのバトルだったかな

だが残念なことにバトルの内容自体はこちらの知識不足で、その抽象的な内容はわからない
暴力の良し悪し、自分と他者との関係
まるで社会学か哲学分野のような話が展開される
三島はサルトルの考え方が大嫌いだという
自分と他者との関係は、実存主義的な解釈のもとにあるとする西欧的な考え自体が
気に入らないようだ

三島由紀夫の言い分は、自分には少しわかりにくい
急にエロティックなどという(価値観を持つ)言葉が出てきて
どの文脈でその言葉が出てくるのかさっぱりわからない
それは彼の閉じた世界観の中から出た言葉の様に思えてしまう
彼には確かに一つの確固とした価値観とか美意識がある
それは哲学的とか科学的に実証されるものではないようで
彼の感性に共感する人しか持ち得ないようなもののようだ

とまあ、あまり良くわからない話が続くが現時点で最後まで見ていない

だが、それでも驚くのは両者が「言葉によるバトル」をしようとしたことで
空回りのバトルであったとしても、そこで感じられる熱量とか真剣さの度合いは
現代社会の肝心なことを言葉でバトルしない社会と比べるとぜんぜん違う

物事を週刊誌の見出しで把握するように簡単に理解すること
良し悪しが情報の絶対量に支配されがちなこと
一方的に論破と断定する一部の人たち
こうした現在の世界と比べると、言葉によるバトルを行い生の声を聞けた時代は
今よりずっとエネルギーに溢れた時代で、後の高度成長を感じさせる

この熱量と比べて今の時代は大丈夫なんだろうか?
熱い時代を(自分は参加しなかったが)見てきたおっさんは
少し心配になってしまう



コメント
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