結局のところ、人は想像するだけではその実態は把握できず
自ら体験しないとわからないのかもしれない
格差は年末に炊き出しを手伝う人(野党の人々)と
平凡やらそれなりの生活をしている人(与党関係の人)とは
そ深刻さの認識は違うと思われる
統計は都合の良い数字を、それぞれの目的にそって提出できるから
実はそれほど当てにできないと思う
(個人の給与は下がっていると言う捉え方と、総支給額は伸びているという捉え方など)
以前にも取り上げたが、格差を受けた人がどのような気持ちになるか?
を政治家に実感してもらう実験が行われた(とうっすら記憶している)
あるパーティー会場でのこと、そこには豪華な食事が準備されている
ところがそれを食べることができるのは、じゃんけんで勝った人だけ
負けた人はお預け状態でが我慢しなければならないというルールだ
これが短い時間のことなら仕方ない、運が悪かったで済ませるが
この状態が長く続くと、お預けを食らった人たちは、何も悪くない
じゃんけんに勝っただけの人を恨むような気持ちになるという
これは良い悪いの問題ではなく、人にはそうした傾向があるということだ
何事も現実からスタートする
その現実は想像の中の現実ではなくて、実際に生きている人たちが
生身の感情をもって感じる現実で、これを理解しない限りは
社会の全体像を把握できないと思う(特に政治家とかそれなりの立場にひとは)
現実世界では他人の感情生活を経験をすることはできないので
それは想像力でカバーするしかない
それは共感という人に与えられた素晴らしい能力だ
歳をとると涙もろくなるというのは、その例だ
人の気持ち、感情を共感によって理解する
それは論理的な理屈で人を理解するのと同様に重要なことと思われる
確かに感情を伴う理解は時として大きな勘違いや間違いを起こす
だがそれを過度に恐れて、抽象化された理屈のみで動く世界は
それもまた怖い世界のように思えてしまう
ということで、他人に対する想像力を育むと思われる
一見役にたたないと思われるリベラルアーツ的な教育は、とても大事だと思う
この分野が最近、おろそかにされているようで少し不安
いつもの、まとまらない話