パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

年末だから第九を聴いてみた

2013年12月21日 20時52分20秒 | 音楽
名盤の誉れ高いフルトヴェングラーと
バイロイト祝祭管弦楽団の組み合わせのものは
かつて感じた圧倒的な感動が薄れてしまうのが怖くて
気楽に聴けないでいる
体調・精神のコンディションが良い時に
真面目に向かわないとダメな気がしている
今後そんな時が来るかどうか分からないが
たとえ来ないとしても今までにあの演奏で
充分すぎるほど感動を与えてもらったから
不満はない

ということで、今日急に思い立って取り出したのは
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
オレケストル・レボリュシュネル・ロマンティックのCD

ただ、聴いていて、ついついいろんな箇所で
フルトヴェングラーの演奏と比較していた

この演奏、一言で言えばスポーツカーのような演奏
高性能なDOHCエンジンを積んで車体は軽くして
一気呵成に走り切るみたいな感じ
ずいぶんテンポが早い
音に思いを込めるなんてことはしない
音楽の一瞬一瞬が全て現在の出来事のよう
過ぎ去った音の効果はまるで気にしないかのよう
演奏家はよく訓練されて指揮にしっかりついてきている

スケルツォの楽章の楽器間の出たり入ったりの
受け渡しは印象としてあまり立体的じゃない
(フルトヴェングラーのと比べて)
リズムはちゃんと刻んでいるのだが、、、

第3楽章もサラサラと流れていく
思索的な沈潜よりも音響としての楽しみ方が優先
フルトヴェングラーの演奏では胸をかきむしられるような
あのファンファーレの後の静寂・寂寥感は
この演奏では少しも感じられず
こういう演奏もあるのだ
と思いつつも少し不満

最終楽章も4つのテーマが回帰して否定されて
それから喜びの歌のメロディーが出てくるのだけれど
なんだか無理やりくっつけたような印象
フルトヴェングラーのでは必然と思われたのに、、、

結局、最後まで楽しむというより
比較に終始してしまった

ちょっと不漫が残ったので
もう一枚ラトルとヴィーン・フィルのCDを引っ張りだして
第3楽章を聴いてみた
音楽が始まった瞬間
こっちの方がいい(ガーディナーより)
ホッとした感じに包まれた
そしてなんというヴィーン・フィルの繊細な音であることか

そう、ラトルの演奏はとても繊細な感じ
楽譜を読み込んで解釈されているような演奏

でもこれは集中して聞いていると感じること
不意にまたフルトヴェングラーの演奏と比較することになったが
フルトヴェングラーの演奏も集中して聞いているのだが
途中から音楽があちらの方から自分の方へ働きかけてくる
聴きに行くのではなく饒舌に語りかけてくる
演奏者も何故だか指揮に従うというよりは
音楽の流れに任せて楽器間のやりとり、フレーズの受け渡し、
楽器間の音量のバランスを自由に行っているように思えてくる

音楽の演奏という行為の中で何が出来たのか
単なる時間の流れを楽しむレベルではない
全人格的な体験となる深い演奏
フルトヴェングラーの音楽はそんな感じ

でも残念ながらこんな演奏は出てこないだろう
時代も変わってしまった
この様な演奏も期待されていないのだろう

自分にとっては今年のドイツ旅行の
ハイデルベルクのフルトヴェングラーのお墓参りは
重要なポイントだったが
フルトヴェングラーは
すっかり過去の人になってしまっていた?

ハイデルベルク駅のインフォメーションで
フルトヴェングラーのお墓はどこ?
と尋ねると
フルトヴェングラーって誰?
と返ってきた
ハイデルベルクの彼のお墓は
もはや鳥たちが見守るだけなのだろううか

6月に尋ねたフルトヴェングラーのお墓は
鳥たちの奏でる音楽に満ちていた







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「八重の桜」感想

2013年12月21日 09時05分17秒 | 徒然なるままに
綾瀬はるかが可愛いから
珍しく一年間とおして見た「八重の桜」
視聴率的にはイマイチだったようだったが
自分はまずまずの評価

もっとも自分は視聴率が良いとされる大河ドラマより
イマイチの作品ばかりを見る傾向にあるようだ
それは自分の興味が「少し運の悪い」人たちに偏っている
せいかもしれない

歳を重ねても何時までも若々しい感じの八重さんは
テレビ的には仕方ないとしても少し変だな
とか
最初の時期の冒頭画面に綾瀬はるかが雨の中
スローで思いっきりアップで顔を上げるシーンがあったが
これはドラマとどんな関係があるんだろう
などと考えたことはあったが
(でもこのシーン、すごく魅力的だったのでストーリーとは関係なくても
 自分的には大歓迎だった)
さすがNHK じっくりと進めていくところはご都合主義の民放にはないところか

この大河で得をしたのは
西島秀俊と山本覚馬かもしれない
山本覚馬と言う人物の存在は全然知らなかったが
知識とか知恵で世界を何とかしうるものだというものだと
間接的に証明したし、会津の人々の心情的な復権にも役立った
でもまた文句言ってしまいそうだが
目が見えない山本覚馬を支えて歩く時
あんなに病人ぽく演技する必要はなかったのではなかったか

西島秀俊と言う役者さんは最近CMでも使われるようになった
特徴のある話し方
何でもかんでも器用にこなすタイプじゃなさそう?
だけど単に人気だけの役者さんよりは注目したい

八重さん、八重さんの周囲はあの時代の歴史を
少し会津寄りの視点だがわかりやすく紹介して
歴史がより深いものに感じられる

もっとも会津の視点ばかりではいけないので
NHKは再来年は吉田松陰の娘(?)の話を大河で扱うらしい

会津若松は3年前、真冬に訪れた一泊したが
第一印象は「この街好きだな!」
小さくこじんまりしているけどなんか文化的
新しいものばかりが街を形作っているわけじゃない
昔ながらの雰囲気があちこちの残って
とてもいい感じ
正直、いつかもう一度来ようと思ったほど

八重さんは結局、新島襄の奥さん、日本赤十字社で活躍した人
ハンサムウーマンの走りみたいな人と紹介されることが多いだろうが
よほどしっかりした人だったんだろう
お兄さんの覚馬も大した人物だったから
ご両親も傑出した人だっただろう
風吹ジュンもいいお母さん役だった

戊辰戦争、会津が徹底的にやっつけられこの戦い
本当に戦うしか手はなかったのか
との問は、現在の社会の積極的平和主義の危険性を
暗に批判していないか

現実的な平和主義は必要なのは理解できる
しかし、結果的に庶民に負担をかけることになる施策は
やはり間違い
戦わない覚悟、戦いへの深い反省など
今の日本は一体忘れてしまったのか

それにしてもテレビ番組(ドラマ)は
視聴率を絶対の基準としてつくるのは
やっぱりまずいんじゃないか
山本覚馬みたいな人物に光を当てるこの手の
地味な番組も必要とも考えるが
これができるのはNHKだけか

それにしても、黒目ばっかりの赤ちゃん瞳の
綾瀬はるかさん、可愛かったな
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