パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

マルクス・ニーチェ・フロイト・フッサールを噛じって!

2013年12月10日 18時57分21秒 | あれこれ考えること
先日図書館から本を借りた
初めての体験
お金の節約にはいいが、読みたい本は見つけられずにいたが
ものは試しにと2冊引っ張りだした
「現代思想の源流」マルクス・ニーチェ・フロイト・フッサール
「応仁・文明の乱」

世の中には物事を上手く解説・説明できる能力を持った人がいるもので
前者のような本は、つくづくそういう人の存在をありがたく思う
そんなことが書いてあったのか、自分は何を読んでいたのか
と情けなく思うこともあるが、この手の解説書を読んで解ったつもりになるのは
原典(もちろん翻訳)を読んで未消化になることよりはいいかもしれないが
それでも、本物と対峙しないとその迫力は感じられない

人間生活は観念だけで完結するものではなく、物があって初めての生活となる
だからこそ物をベースとした科学的な仕切り直しが必要として
マルクスは彼の思索を深めた

与えられた世界は解釈の問題
と考えたのはニーチェ
やはり観念的な世界に終始するのは実はそれほど
確かなことではない、、
なんだかショーペンハウエルの「意志と表彰としての世界」を思い出してしまったが
目の前のある世界は、疑うことのない意識に客観的に与えられた存在ではなく
既に解釈がなされた世界

これはショーペンハウエルだけでなく仏教の「色即是空」に通じるのではないか
と思ったりした
ニーチェはショーペンハウエルから、ショーペンハウエルは仏教から影響を受けているから
こうした結論に至っても不思議はない

人は自分のことをどれだけ知っているか
無意識という存在
フロイトならずとも人は自分で自分をコントロールしきれるほどの存在ではない
恋の悩みも快感も脳内に流れる微小な電流の出来事
あるいはほんの僅かな物質(薬)のなせる技
コントロールできるか否かは別として、現状の正確な把握・解釈に取り組んだ
自然科学志向の心理学者のフロイト

デカルトが「我思う故に我あり」と疑うことの出来ないものまで突き詰めていった
結論からスタートするフッサール
確かに、この前提だけでは厳密に考えていくと少し心もとない


以上が自分にとって気になった点
緻密ではあるが現代は難しい時代に入ってしまっている
それは音楽においてもシェーンベルク・ベルク・ヴェーベルンを始めとした現代音楽にも感じられること
今は音を楽しむと言うより難解なものになっている
ところがそれでも時代の気分は現代音楽のほうがしっくり感じることがある
バロックの収まりどころのいい音楽は耳には楽に感じられても
今の感情には訴えない

現代思想の人々の葛藤は、ブーレーズ・シュニトケ・ノーノの試みと
気分的にも通じることがあるような気がする
もっと言ってしまえば素粒子論・宇宙論もゲーデルの不完全性定理も
似た雰囲気を持っているのではないか
つまりは時代の影響、具体的にどうだとはいえないが
確かにそれぞれの領域で感じている本質は
どこか全て通じ合っているような気がしてならない

素人の良さは、こうしていい加減な空想ができること
理屈があっていなくても、話に飛躍があっても誰かから文句が出るわけでもない

図書館で借りた本の正しい感想や解釈ではないかもしれないが
感じるといったことに関して言えば
表現の拙さはあるけれど、こんなふうに刺激を受けたということ

それにしても、歳のせいかどんどん忘れる
困ったものだ
もっとも忘れるくらいなら自分にとって大したことではないのかもしれないが

コメント
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