人の運命は最も無垢な心から湧き出た人間の言葉で変えられるのです。
嘘をつかないこと。
その人をただ純心に、心の底から助けたいと-同情するのではなく助けたいと-願うこと。
カルマを説くさまざまな教義にとらわれない、というよりむしろ、それらを超える強さをもつこと。
カルマや絶望について、病弱な少女のカルマ的宿命について説くこともできるかもしれない。
でも、アナスタシアは、この宿命を超える強さを証明したのです。
彼女はただ単純にそれを無視しました。
ほかの人でも同じことができるはずです。
なぜなら、それはすべて言葉、しかも、ふつうの言葉によってなされたからです。
ただ、その言葉は、適切な場所で、適切なときに、さらに一定の順序で語られなければならない。
言葉を発するアナスタシアの意図が純粋だったために、これらの言葉は自然にある一定の順序で並び、
それゆえに効力を発揮したのだと思います。
「響きわたるシベリア杉 シリーズ3 愛の空間」より
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誰かと話していて、「自分の想いを込めて、それを相手に伝えること」は私的には、とても難しい作業の
ように思います。同じ言葉なのに、それを発するタイミングや、会話の前後の流れで全然違う意味に
捉えられてしまうことがあるように思いますね。相手の魂の琴線に触れるタイミングで言葉を放つ・・・・
純粋に相手を思っても・・・・なかなか・・・^^;
「置き土産の言葉」もありますね。言葉を相手に放った瞬間には、何も起こらないけれど、1年後とか
5年後にその言葉が相手の魂の琴線に触れるというわけです。映画のワンシーンや、本の一節が
ある期間を経て辿り着いてくるような・・・。
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’永遠の世界のように深く、宇宙のように無限の’文字の組み合わせとサインを、一冊のテクスト
の中に注ぎ込み、隠すなどということが可能なのかどうか・・・・
それを確証する主な事実は、本(アナスタシア)に触れた人々の精神的反応である。
書簡など読者からの情報を調査、検証、分析した結果は、詩や絵画や歌というかたちで表現される
創造的感情の高まりが、大多数の読者に生まれていることを証明している。
読者の多くが植物に触れたり、植物を植えたり、職業を変えたりする必要性を感じはじめている。
個別の例としては、気分の著しい改善や病の症状の消失などがあげられる。そのイメージは、
読者に与える心理的影響において、聖書を含めてこれまで知られてきた数々の古典文学よりも、
数倍も勝っていることになる。
「響きわたるシベリア杉 シリーズ3 愛の空間」より
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魂の琴線に触れる言葉や文章・・・私の場合は、私の人生を決定的に変えたのは「シルバーバーチの霊訓」
であるけれど、同じスピリチュアリズムから学ぶ人の中には、それがモーゼスの霊訓であったり、ホワイト・
イーグル、キューブラー・ロス、黎明、バシャール、神のと対話、などであったりするわけです。訳者によっても、
ずいぶんと伝わってくるものが違ったりしますね。
同じ内容を伝えようとしても、言葉の選び方や比ゆ的に用いる時代背景などで、受け手のイメージは随分と
違ってきます。波長が合う、波動が合うというのもあるのかもしれません。
一つの物語を映画で観るのと、、本で読むのとでも随分イメージが違うことがありますね。同じ内容の出来事
をテレビで見るのと、ラジオで聴くのとでも随分違ったりします。
音声として、口から放たれる「言葉」と、紙面に書かれている「言葉」もまた違う印象を受けることがあります。
私的には、魂の琴線に触れる言葉の多くは、五感で受け取る方法の中では、やはり、書かれる「言葉」かなあ。
次に楽曲に乗って届く言葉、すなわち「歌」かな。時として肉声(会話)にも感じることはありますが、信頼できる
相手でないと入り込んでこないかな。そんなふうに思ったのでした。
魂の琴線に触れる言葉たち・・・・・それは、当然、脳内物質の分泌に影響を与えるでしょうから、自然治癒力
も高まり、病が癒えたり、生命力・気力も増すのでしょうね。
きれいな言葉で一見まことしやかなことが語られていても、心に響かないことがあります。
本なども読み進めようと思うんだけれど、何故だか面白くなく感じる。
もちろん、自分にとって、ということなんですが。
歌はそのエネルギーを膨らまします。
そうなんでよ、綺麗な表面的な言葉は、すーっと抜けてっちゃいますね。泥臭いほうがいい?(笑)
てぃんがーらさんは、なんとなく文字や言葉からではなく、それこそシンボリックなものや音楽、踊りなど直観的、芸術的なものから受け取るタイプのように思います。