スピリチュアル・ライフ by birch99

スピリチュアリズムを小脇に抱えて・・・スピリチュアルな視点で日常を綴ります。

システムは、あなたを神から切り離し、あなた独りで生き、働くように強要する。

2014-05-02 16:08:43 | ◆スピリチュアリズムを小脇に抱えて

攻撃性や利己心や恐怖心といった後天性の闇の想いをもたない人間は、愛の光を発する。

それは見えないけれど、太陽光線よりも強力なもの。そのエネルギーは生命を呼び起こす。

 

育児、子育てのシステム・・・全てのシステムはしょせんシステムにすぎない。それはいつも、

小さな人間(子ども)から心と魂を奪いとり、彼がそのシステムに服従し、ほかのみんなと同

じように、システムに適応しながら成長するように意図されて作られている。これは何世紀

にもわたって続いてきたこと。魂の内にある人間の洞察力を弱め、宇宙の所有者である人間

に神が与えた魂そのものによって、自身のもつすべての美を開花させることから、人間を遠ざ

けてきた。

 

子どもたちの行く手を阻んではいけない。

彼らがもつ意識を、神が願われたものとして見なければいけない。

宇宙に存在する光の勢力全体の願いは、生まれてくるひとり一人の人間に、宇宙にある最善

のものすべてを伝えること。

両親の義務は、その創造的な光を、人為的なドグマで遮断しないこと。

子どもの思考プロセスを妨げることは断じて許されない。

 

一匹の昆虫は、人間が作ったどんなものよりも-とりわけあの原始的な組み立てセットよりも-

ずっと完璧な仕組みをもっている。

 

この広大な宇宙のすべての生きものの中で、神と天国と幸運の星と、この小さな人間との間に

入り込んできて、小さな人間の運命に影響を与える存在が、ただひとつある。

それは人間の両親。

誰でも幸福を願う。だが、彼らはその幸福への道を忘れてしまっている。親たちが、善なる意図

にもかかわらず、子どもに暴力を用いてしまう理由がここにある。

子どもは、絶望のかすかな痕跡をも残すまいとし、母の胎内にいたときの記憶も消そうとする。

胎児は母親の苦しみをとおして、世界の悪習を感じ取る。

 

(生まれてすぐに、)

縛りつけられるように布にくるまれる。

ベビーベッドにひとり、無力な状態に横たわされる。

自分ですべてを考え、すべてを理解したかったが、

両親はほほ笑みながら、あなたがいつ食べ、いつ眠るべきかを決めた。

頻繁に、ホーホーと声をかけ、天井すれすれまで放りあげた。

(あなたは)どうして?と考える時間もほとんどなかった。

与えられたおもちゃには何も見つけられなかった。それでも探し続けた。でも無駄だった。

それが、宇宙の統治者となるべく生まれてきた人間が、初めて挫折を味わった瞬間。

そのときあなたは、自分は何一つ解決できない存在なのだと決めてしまった。


あなたは自分を運んでくれた人たちに裏切られ、あなたは自分自身を裏切った。

子どもの天性に対する暴力があなたにもたらした感覚は、これまでの全人生をとおして

あなたにつきまとい、それはさらにあなたの子孫にまで組み込まれようとしていた。

そして、学校へ行く。今の世界観を教え込まれる。これが、個というものが侵害されて

いったプロセス。これが、システムというものが、それ自体を保持するために奮闘し、

人々を押しつぶそうとするやり方。

でも、あなたは人生のある時点で、システムがたくさん存在し、それぞれが異なっている

ということに突然気が付いた。

あなたは自分の世代が、人生で誤って生きてきたのだと理解した。あなたはもうひとつ

別のシステムを生きなければならなくなった。

あなたは親になった。何も考えず、あたかもあなたの子どものために良いことをしているか

のように、あなたはあなたの子どもにその新しいシステムを引き渡した。

これが自分の子どもにたいしての暴力行為。

何千年にもわたって互いに入れ替わりながら、異なるシステムが次から次へと

現れては消えていったけれど、それぞれが同じ目的をもっている。

つまりそれは、あなたを神から切り離し、あなたと神との間に立ちふさがって、あなた独り

で生き、働くように強要する。

これが、すべてのシステムの本質。

子どもに対する意識と子どもをとりまく意識・・・キリストは、キリストを産んだと信じる母親に

よってのみキリストとして生まれる。世の両親が、キリストあるいはマホメットに対するように

自分たちの子どもに接すれば、その子は彼らのその意識に従っていく。

・ 

大人の訪問者たちは、子どもたちに触りたいという欲求を抑えられないようだった。彼らは

子どもたちに触り、ハグし、まるで子猫に対するように撫でまわした。自分たちの好奇心を

満足させ、この建物の住人たちから放射される恩恵に浴そうとして、やってきていた。

彼らは自分のほうから何かを与えようとはせず、ただ触り、奪っていく。

「聖なる場所から恩恵を得ようとするときは、あなたがそこに何を残していけるかを考えて。

もしあなたが光を放射することができないなら、なぜ恩恵を奪って、まるでお墓の中に埋める

ように、それを自分の中に埋めてしまうの?」

 

われわれの先祖たちの記憶は、宇宙の構造と宇宙的次元での生き方を知っています。です

から、子どもたちには知らないことがある、という考えを締め出すことがとても大切なのです。

子どもは大人に比べて身体的には弱いが、大人よりはかり知れないほど優れている。

子どもはしみひとつなく、社会通念に縛られていない。

「響きわたるシベリア杉 シリーズ3 愛の空間」より 

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いや~、すごい言葉です。目からウロコが落ちるというか、目が覚めるというか・・・・。アナスタシアは、

タイガの森の中の草原で子育てをするわけですが、子ども本人の意思、興味、考え、思いを最大限

に尊重しながら育てています。親のエゴ、先回りした恐れの排除などをまったく無視して・・・。これは、

現代社会の中では非常に難しいことなのかもしれない。でも、このような育て方が、彼を神に結びつ

け、霊的能力を維持させるのかもしれませんね。

 

私たちが、盲目の方に接する時、盲目の人が歩いているときに、目の前に大きな穴があったとします。

私たちは、危ない!と思い、良かれと思って、突然その人の手をとって脇に引っ張る行動をしたとします。

実は、この行動は、盲目の人にとっては非常に恐ろしいことでだそうです。盲目の人は杖でその危険を

自分で回避できる能力を持っていますし、まずは声をかけることが先決でしょう。子どもの教育に関して

も目の前にある不安や恐怖を事前に取り除くのではなく、自分で学べる環境を作ることが一番なのかも

しれません。

 

それにしても、これらの文章を読むと、おぎゃーと生まれたときから親の制約を受けてきたことがよくわ

かりますね。「たかい、たか~い」とか、ガラガラを子どもの寝ている顔の前で行う行為、いわゆる「子ども

をあやす」というのは、親のエゴなのかもしれないなあ。母親のぬくもりの与え方も、子どもが要求した

段階でのみ行うものなのでしょうか?

 

育ってきた環境で人の性格は形成されるといいますが(前世から持ち越しているものもあるでしょうが)、

物心付く前の、こういう育てられ方もまた、大きな影響を及ぼしているのでしょうね。

 

アナスタシアの子育ての中の一場面に、子どもが、老鷲に掴まれて空高く舞い上がる箇所があります。

以前読んだ「神との対話」の中に、「子どもは墜落の恐怖と大きな音に対する恐怖の二つの恐怖を本能的

に携えて生まれてくる」という箇所がありましたが、空高く飛ぶことによる墜落の恐怖はなかったのかな?

 

シュタイナー教育は、wikipediaによると、

「シュタイナー教育の目指すものは、宇宙にある諸事物の理念を、人間と結びつけて理解し、それにより

ミクロコスモスとしてのわたしを活き活きとした理念で満たすこと」となっています。私はよく判りませんが、

子育て、教育に関しては何かしら共通するものがあるのかもしれませんね。


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