[「ありがとうございます」をもっと平易に]カテゴリーからの投稿です。
一切の苦しみの根本原因は、本心の自分を忘れて、業想念の心の奴隷に陥ることにあるのです。本心の自分
には、一切の苦しみは無いのです。本心の自分は感謝する心・喜ぶ心ですから、常に無条件で、すべてをプラス
に観て、感謝し喜べるのです。過去を掴む心・執着の心・業想念の心には、常に四苦八苦が影のように付きまとう
のです。何故なら移り変わる無常なものに執着して、その変化を止めようとしても無理なのです。決して思い通り
にはならないのです。だから苦しむことになるのです。自分の思い通りにならないのが苦しみなのです。
宇宙のすべては、神さまの御心のままに移り変わっているのです。宇宙というのは、この世の宇宙だけではないの
です。心の波長の異なる宇宙が、無限に無限に存在しているのです。各自がそれぞれに感じ取っている世界という
のは、各自の心境に波長の合った無限の無限の中の一つの世界なのです。心の明るい人にとっては、明るい世界
が感じられ、心の暗い人にとっては、暗い世界が感じられるのです。自分自身の心境の変化に応じて、その心境に
ぴったりの世界が感じられるのです。自分と異なる心の波長の人は、別の異なった世界を感じているのです。
求める心・不足の心・業想念の心を生きていては、幸せの少ない世界に波長が合って、幸せはどんどん小さく・少なく
なってゆくものです。反対に感謝の心・満足の心・本心の心を生きれば、幸せの多い世界に波長が合って、幸せは
どんどん大きく・多くなってゆくものです。求める心と感謝の心のどちらを生きるかによって、未来の運命に雲泥の差が
生じるのです。(「ありがとうございます」より・一部語句互換)
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若い頃は、皆、共通する「感じ方」や「思い」があるんだと思っていましたね。こうすれば自分は楽しいから、みんなも
楽しいんじゃないか?みたいな・・・。ところが年を重ねれば重ねるほど、皆、違うんだ、100人いれば100人の「感じ方」
や「思い」があって、同じ、この場所に居ても感じ取っている世界が違うんだなと・・・。
コップ半分の水を見て、ある人は、ああ、もう半分しかないんだ(不足の心)と悲観的に見るけれど、別の人は、ああ、まだ
半分もあるんだ(満足の心)と楽観的に見るかもしれません。(そうてつさんのmixi日記より)
桜の花を見て、ああ、綺麗(天心)と思う人もいれば、桜の花の咲くころに愛する人を亡くしたりしていれば、ああ、悲しい
(過去を掴む心)と思うかもしれません。
人は、私心と本心のバランスの中で、人それぞれの世界を生きているんですね。
感謝・満足・謙虚に行こうよ、と言われても、今まで生きてきた思考回路がありますから、そう簡単に自分の「感じ方」や
「思い」を修正するのは難しいかもしれません。しかし、そこを変えていかなければ「私心の枠組み」、上記に書かれている
「業想念の心の奴隷」から脱する事はできないでしょう。どうすれば、その思考回路から脱することができるのでしょう?
それは、またいずれ・・・^^